【パルタージュ】

プルーストの小説と蘇る記憶。|パルタージュ

2021/06/13

『ティータイム-プティット・マドレーヌ 、シュケットと菩提樹ティー』 
©Tomoko Iozaki

オルセー美術館のセーヌ川沿いに面した中2階の展示室にマルセル・プルースト(1871-1922年)の肖像画が掲げられている。20世紀の西欧文学を代表する仏小説家だが、実はこの作品の前を通るたびに「私には一生関係がない人物だろう」と思っていた。

ある時、友人がプルーストの長編小説「失われた時を求めて」(全7巻)を読んでいることを知った。コロナ禍で制約の多い生活を過ごす中、経験のないことに挑戦してみようと考えていた時期とも重なり、私もこの小説の第1巻を手に取ってみることにした。

プルーストやその小説についてさらに知りたくなって調べてみた。その中で「プルースト効果」と呼ばれる、「プティット・マドレーヌ」というお菓子をハーブティーにつけて食べた瞬間に引き起こされた幸せな感情から始まった、回想の描写が絵画的で気に入った。

私も小説の中に登場する帆立の貝殻の形をしたマドレーヌを探し求めてパン屋を巡り、菩提樹のハーブティーとともに購入した。残念ながら、よく知られる縦長のマドレーヌしか手に入らなかったものの、お茶を淹れ、マドレーヌを浸しながら味わってみた。

福井で過ごしていた幼少期にはマドレーヌのような洒落たフランス菓子の存在すら知らなかった。むしろ私にとっての“プティット・マドレーヌ”は祖母が作ってくれたよもぎ餅や、たまに出た洋風デザートのスイスロールになるのかもしれない、と思い返した。

2回目の「失われた時を求めて」を読み終えて、今はフランス語版を読み進めている。プルーストが観察した記憶の繊細な描写を読んでいるうちに、私自身の記憶を辿っていた。それは幼い頃、家族とともに故郷の自然の中で暮らしていた美しく懐かしい、生き生きとした記憶の断片だった。

身の回りにある平凡なものをただ無心に観察していた子供の頃の記憶に行き着いた時、反動的に大人になるにつれて失われていったものの存在に気付かされる。それはプルーストが描こうとしていた世界への扉を少しだけ開くことができたと思える瞬間だった。

画家/五百崎 智子 1971年、福井市生まれ。パリ在住。福井大学などで油絵を中心に学び、渡仏後は語学や絵画を勉強。姪っ子3人が中高大へとそれぞれ進学した。私の娘も9月に進学。それぞれに良い友達に出会ってほしいと思う。


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#コラム#アート#連載

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