2022/05/17
戦国の世、越前国の戦国大名・朝倉氏が5代にわたり、103年間支配した城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」。
国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に指定され、京都の金閣寺や広島の厳島神社と並び国の三重指定に登録されている非常に貴重な遺跡です。
織田信長によって焼き尽くされた城下町は、現在ほぼ完全な状態で再現されています。
朝倉氏の栄枯盛衰の地・一乗谷朝倉氏遺跡について紹介していきます!
目次
・ 一乗谷城と城下町
朝倉氏と一乗谷の歴史
朝倉氏は但馬国朝倉庄(現在の兵庫県北部)を名字の地とする武士で、南北朝時代に越前国(現在の福井県東部)に入りました。当時の越前国は比較的京都から近く、若狭とともに交通路の要として重要な役割を果たしており、豊かな国でした。そんな越前国で力を伸ばしていった朝倉氏は、朝倉孝景の代に起こった1467年の応仁の乱での活躍をきっかけとして、本拠地を一乗谷に移し、越前国を平定します。それ以降、朝倉氏は5代に渡って103年間、越前国を中心とした、幕府でも重要な地位を占める戦国大名として繁栄しました。一乗谷には京都や奈良から貴族や僧侶などの多くの文化人が訪れ、「北陸の小京都」とも呼ばれました。全盛期には人口が1万人を超えていたとされています。しかし、1573年に織田信長に戦で大敗、信長の軍勢に火を放たれ一乗谷は焼き尽くされました。
辺境の地となり田畑の下に埋もれていった一乗谷は、1967年から発掘調査が始まり注目されるようになりました。1971年には一乗谷城を含めた278ha(東京ドーム約60個分)が国の特別史跡に指定され、1991年には、館跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園の4つの庭園が国の特別名勝に指定されました。また、2007年には2343点もの遺跡出土品が国の重要文化財に指定されました。
一乗谷城と城下町
一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に朝倉氏が越前国を支配した際の拠点となった山城・一乗谷城と、その山麓の城下町(朝倉氏とその家臣たちの居館)からなる遺跡です。一乗谷城は、標高473mの一乗城山に築城され一度も戦闘に利用されることはありませんでしたが、軍事的防御施設として趣向を凝らした守りの仕掛けの数々を行っており、またその遺構が多く残っていることで注目を集めています。
~一乗谷城を守る軍事的防御のしかけ~
〇竪堀…城の防御の基本である堀のうち斜面に並行に掘ったものを言いますが、竪堀の採用は珍しく、敵が斜面で横移動するのを防いでいたと言われます
〇畝状竪堀…竪堀を連続して並べ、その効果を高めたのが畝状竪堀です。織田信長の侵攻に備えて築かれたと言われる約140の畝状竪堀が要所に築かれています
〇堀切…山頂にある山城の主郭部分を狙う敵が進むのは尾根づたいで、それを防ぐために尾根筋を断ち切る仕掛けです
ほかにも千畳敷、観音屋敷、宿直(とのい)などの御殿群と、一ノ丸などの曲輪群などがあります。
一乗谷城の城下町は、南北を城戸に囲まれた約1.7kmの谷間に形成されていました。その様子はまるで京都のように区画整然としていたと言われています。発掘調査や史料などをもとに、栄華を極めた城下町の様子を約200mにわたりほぼ完全な姿で再現したのが「復原町並」です。重臣の屋敷、武家屋敷、庶民の町屋などの様子がリアルに再現され一般公開されています。
なぜ一乗谷が繁栄したの?
一乗谷は「北陸の小京都」と呼ばれ繁栄しました。応仁の乱により荒廃した京都から多くの公家や高僧、文人、学者たちが一乗谷に避難してきたため一乗谷は飛躍的な発展をとげたのです。物流面では、朝廷や寺社の勢力が衰えていた京都に代わり地方の拠点となり力を保持、商業が発達し経済活動も活発に行われたことで街を活性化させました。京都の文化の担い手としても機能し、館跡庭園の石組などに文化交流のあとを見ることができます。
必見!一乗谷朝倉氏遺跡の特別名勝
館跡庭園は、朝倉館跡内の南方にある庭園です。当時完全に埋もれており、発掘調査によって約450年ぶりに発見されました。池の護岸は、大小様々な庭石で構成され、池の底には平らな石が美しく敷き詰められています。
湯殿跡(ゆどのあと)庭園は朝倉館跡を見下ろす高台にあり、戦国時代の気風を感じられる、荒々しい石組みが特徴的です。4つの特別名勝朝倉氏庭園の中で最も古いものと考えられていますが文献が全く残っていないため、造られた時期や創作者、当時の風景などについて全く分かっていません。
諏訪館跡(すわやかたあと)庭園は、4つの特別名勝朝倉氏庭園の中で最も大きく、上段と下段で構成された庭園です。5代目朝倉義景が最愛の妻・小少将のためにつくったとされており、庭園は多くの低く丸みを帯びた石で構成され、柔らかい雰囲気を纏っています。
南陽寺跡庭園は、朝倉氏の子女が入る尼寺で、館跡庭園と諏訪館跡庭園と同時期につくられたと考えられています。また、1568年3月に後の室町幕府15代将軍足利義昭をもてなして、糸桜を楽しみながら歌会を催したと伝えられています。
一乗谷朝倉氏遺跡へのアクセスと詳細
一乗谷朝倉氏遺跡
【住所】福井県福井市城戸ノ内町
【電話】0776-41-2330(朝倉氏遺跡保存協会)
【時間】終日(見学自由)
【料金】無料
【駐車場】あり
【HP】あり ※ボランティアガイドあり、詳しくは問い合わせを
復原町並
【時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】無休※年末年始を除く
【料金】高校生以上330円(小中学生・70才以上は無料)※2022年10月1日以降は、高校生以上330円、小中学生・70才以上100円
【駐車場】あり
【交通アクセス】
〇JR北陸本線「福井駅」から京福バス(一乗谷東郷線)「復原町並」バス停下車すぐ
〇JR北陸本線「福井駅」からJR越美北線「一乗谷駅」下車徒歩約25分
〇北陸自動車道「福井IC」から車で約10分
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