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2021/12/30
全国でも珍しい餅の専門店がある福井県。福井の餅大好き文化にはどんな歴史があるのかを紐解いてみました。
寺社あるところ餅屋あり。
信仰に育まれた餅文化。
「餅は餅屋」ということわざは、江戸時代に生まれたとされる。江戸時代の中期に砂糖の流通量が増えたことから和菓子が大きく発展し、庶民文化が高まるなかで餅菓子もさまざまな品が考案されました。福井や越前府中の城下でも江戸時代から明治にかけて何軒もの餅屋が店を開き、大福やぼたもちなどが気軽に手に入るようになったといいます。餅屋の多くは北国街道の宿場町や関所、木戸門の付近に店を構えました。人が集まるにぎやかな場所だったのはもちろんですが、これら交通の要衝には防備のために寺社仏閣が密集して建てられており、参拝に訪れる人々が供物に餅を求めたとか。
お供えに餅が好まれたのは、米に霊的な力があると考える稲作信仰がルーツにあるとも言われました。米から作られる餅は酒と同様に神聖なものとされ、季節の行事である節句や宗教儀礼の供物として珍重。平安時代にはすでに正月に鏡餅を供える風習が生まれており、餅と信仰の歴史は1000年以上におよびます。米どころのなかでも特に信心深い地域である福井県は、餅が土地の習俗に深く結びつき、冠婚葬祭や年中行事に組み込まれていきました。そして、庶民の間でも餅文化が発達し、何かと餅を贈りあう習慣が形づくられていきました。
祝いの品として贈られた
慶びを告げる縁起物。
日本人にとって餅はハレの日の縁起物。福井でも慶事を知らせる祝いの品として、人と人を結ぶ役割を果たしてきました。結婚や子どもの誕生には「節句餅」を配り、子どもが1歳になると健やかな成長を願って「一升餅」を担がせました。氏神祭りやお彼岸には重箱に赤飯やあん餅を詰めて親戚に贈り、数え年で88歳になれば「米寿餅」をこしらえて長寿を祝うようになります。
季節の餅にも独特の文化があり、土用の丑の日に食べる「土用餅」は、きな粉と黒蜜でいただく福井特有のあべかわ餅が定番です。正月や年中行事で食べる餅も、その土地らしさを含んだ郷土色豊かなものが多々見られます。
また、昭和30~40年代までは年の瀬に家族総出で餅搗きをして、鏡餅や雑煮の餅、かきもち用の餅などを搗いて正月の準備をする家庭が多かったといいます。搗きたての餅に砂糖醤油や大根おろしをまぶし、味見をするのが楽しみだったという人もいるでしょう。職人が道具を引いて注文先まで餅をつきに行く風景は江戸時代から見られましたが、福井の餅屋も昭和の初め頃までまちを回って餅搗きを請け負ったという昔話があります。今では餅屋が出向くことはなくなりましたが、客が持ち込んだ餅米で餅を搗く「賃餅(ちんもち)」は根強く残っています。それも餅の専門店がある福井らしい風景のひとつといえます。
福井の人が餅好きなのは
本物の餅を作る人がいるから。
お祝いの餅を噛みしめることは、喜びを噛みしめること。だから福井の人は餅を贈りあい、みんなで分ちあうのが好きなのかもしれません。餅の真ん丸な形は円満な人間関係を、長く伸びる様は末永く元気であるようにとの願いが託されています。そんな人々の想いをつないできたのは、餅づくりに励んできた地域の餅屋です。
福井の餅店は本物の餅にこだわり、朝搗きの餅をその日のうちに売り切る「朝生(あさなま)」を貫きます。添加物を使わない昔ながらの製法で、素材の持ち味と職人の腕だけで勝負しているのです。柔らかさは店それぞれに異なりますが、共通しているのは歯ごたえの良さ。コンビニやスーパーではとろけるように柔らかい餅菓子が手に入りますが、本物の杵搗き餅は柔らかさのなかにもむっちりとした歯ごたえがあります。むしろ、この歯ごたえなくして本物の餅とは言えません。保存がきく便利な食べ物があふれている時代だからこそ、たった1日の命でも自然の素材だけで作る美味しさを届けたい。そんな餅屋の矜持が、福井の餅文化を支える縁の下の力持ちになっているのです。
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