2022/11/02
突然のメッセージから
「きがわのぶこさんという方を知りませんか?」。突然のFacebookでのメッセージから始まった物語。『Yokosuka1953』は、ある女性の母親を探す旅路のドキュメンタリー映画として誕生し、国内外の映画祭で次々に受賞。ニュースや新聞、テレビ番組などでも取り上げられた話題作が11日より『テアトルサンク』にて公開が決まりました。11日はナレーションを務める津田寛治さんも来場、舞台挨拶も行なわれます。
この作品のきっかけになったメールを受け取ったのは、この作品の監督である木川剛志さん。現在和歌山大学観光学部教授で、以前は福井工業大学の准教授もされていました。同じ「木川」というだけでメールをくれた海の向こうの「木川洋子」さん。5歳のとき養子縁組でアメリカに渡り、それ以来一度も日本に来ることがありませんでした。ただ、年を重ねたとき、自分の本当の母親に会いたくなり、藁をもすがる思いで「木川」という日本人に連絡を取ったそうです。
戦後の語られない歴史
では、「木川洋子」さんは何故アメリカに渡ったのか。彼女は“混血児”、いわゆる“ハーフ”だったのです。戦後の日本にはアメリカ兵と日本人女性の間にできた子供が数多く生まれたのですが、時代が時代だけに、“混血児”に対する差別があったそうです。「洋子」さんの母親は彼女を育てられずに養護施設に預けたそうです。その養護施設はアメリカでの養子縁組を積極的に行なっており、横須賀からアメリカへと旅立っていったのです。
さて、受け取った木川剛志さんは、探してもらうあてをテレビ局などに伝えたのですが、企画として取り合ってくれなかったそうです。「いわゆる混血児の話題は戦後の見えない歴史、どちらかといえば“闇”のようなもの。また戦後混乱期の女性の当時の生き方は取り上げようにも取り上げにくいテーマだったと思います。ただ、バーバラさん(木川洋子さんの今の名前)には日本の人たちがきっと手伝ってくれると思います、と伝えた手前、無理でしたとは言えず、それならば自分でやろう、となったんです」。
横須賀から八王子へ、65年前に生き別れた母親の影を、細い細い糸を手繰るように2人は探し求めます。結局母親は亡くなっていましたが、探し求める道中で出会った人々との交流、見えてきた語られることのない戦後の歴史、さまざまな物語が折り重なっていきました。
予測不可能だから感動する
監督は言います。「よくドキュメンタリーは“予測不可能な作品”と言われますが、私も想像もつかないようなことが連続して起こっていきました。私はただただカメラを回すしかなかった、というのが実際の感想です。だから自分が作った作品、とは言えないというか……。編集の段階で、ようやく何が起こっていたのかを少しずつ理解し始め、自分が撮った映像とは思えないくらい、その物語に自分自身が感動していました。しかしこれでは感情移入しすぎて編集できないと思い、友人に頼んでメインで編集してもらいました。仕上がったものを見て思ったのは、確かに自分自身が彼女と巡っていたときに見てきた世界であり、これは多くの人にこの世界を見てほしい、と」。
そしてドキュメンタリー映画祭に出品したところ、なんと10カ国にて21個もの賞を受賞したのです。「自分自身ではこれは良い映画になった! と思っていました。と同時にそれは自分の独りよがりではないかとも思っていました。ところが編集途中の54分の中編版をイタリアの映画祭に出したら、いきなりの最優秀ドキュメンタリー脚本賞をいただきまして。完成させたバージョンは東京ドキュメンタリー映画祭で長編部門のグランプリをいただきました。映画を見た方からは、『今の時代だからこそ、この映画を他の人にも見てほしい』と言われました。そこでようやく“何か”が描けていたことに確信を持てた感じです。多くの方にそう言われて、素直にうれしかったです。初めは私だけの映画だったものが、多くの人たちと共有されることで、みなさんの映画になった感じがしています。そしてこれがゆくゆくは戦後混乱期の女性や子供、彼らの届かなかった言葉を今に伝える映画になってほしいと思います」。
もう、涙なくしては観ることができません。福井での上映の後は、全国順次公開を予定しているそうです。是非心打たれる作品にしびれてください。
Yokosuka1953
【公開日】11/11(金) 20:00~
※1週間限定11/11(金)の回は木川監督、ナレーションの津田寛治さん舞台挨拶予定
【会場】テアトルサンク(テアトルサンクHPはこちら)
【HP】あり
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