ドイツの美容室『YODA』オーナー・要田和紀(三国出身)インタビュー

2023/08/28

福井の可能性は高い。技術も、湿度感も。

ヨーロッパに在籍しているサッカーの日本代表選手たちをはじめ、果ては日本からも人が訪れる美容室がある。ドイツ・デュッセルドルフに構える『YODA』。オーナーである要田和紀さんが体感する、福井の可能性について聞いた。





ようだかずのり 1979年三国町安島(現・坂井市)生まれ。三国高校、星稜大学、美容学校を卒業後、東京の美容室に就職。その後フランクフルト、ニューヨークでも腕を磨き2012年にデュッセルドルフに移住。2013年『YODA』をオープン。その他アパレルブランドを展開するほか、コスメブランドとのコラボレーションで商品を開発中。

叔母の背中を追いかけ、
美容師として世界へ

公務員の父と観光業に従事する母との間に生まれた彼は、両親が不在となるときはよく兄弟で親戚の家に預けられることが多かった。その家が生業としていたのが美容室。「叔母にも年が近い子どもがいて、よく3人で遊んでいました」。が、彼以外の二人はテレビゲームに夢中になり、自分だけが蚊帳の外に。「実はその頃からゲームは好きではありませんでした。ロールプレイングゲームも『なんでこんなのに時間を費やさなきゃいけないんだ?』って(笑)。だから今もゲームとかは一切していないんです」。

その代わり、彼が時間を費やしていたのは叔母の仕事場。叔母の姿に自分の未来を思い描いた。「自由な感じがして、楽しそうに仕事をしているんです。自分もそうありたいと、美容師を目指すようになったんです」。両親も反対はしなかったが、「美容師になるなら美容の勉強だけじゃなく、経営のことも学びなさい」と、大学と美容学校の掛け持ちを勧められる。大学で経営を学び、美容学校で技術を習得し、空いた時間は叔母の店で現場を学ぶ。既に東京の美容室に就職することは決まっており、未来は着実に形になっていった。

東京での美容師生活は5年が過ぎ、ヘッドハンティングでドイツ、フランクフルト、そしてニューヨークの美容室で働くことになる。ある意味憧れていたニューヨークの街は、意外な見え方があった。「何か、みんなが同じことをやっているな、という感覚でした。個性があるようであまりないというか。面白い人が少ない、という印象だったんです」。その理由はニューヨークを訪れる1年前、フランクフルトでの経験がある。「逆に個性が強い街なんだ、というのを感じたんです。自分のスタイルをきちんと持っている人が多くて、流されていないんです」。

そろそろニューヨークを離れようかと考えていた3年目、2011年がやってくる。東日本大震災だ。衝撃的な映像は世界中が目にした。日本に帰るかヨーロッパに行くか悩んだ。母親からは「今は日本に帰ってこない方がいい」。その一言も大きかった。あの惨状を見てドイツはいち早く、国内の原子力発電所を停止した。「そうした国の行動力に驚きました」。自身がドイツで生まれた芸術・バウハウスが好きであること、ニューヨーク時代に知り合ったミュージシャンがデュッセルドルフから来ていたこと、身の回りのさまざまな事象がかみ合い、日本人コミュニティも存在していることから、2012年デュッセルドルフに居を構えることとなる。


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#人物#インタビュー#月刊ウララ

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