2023/10/16
1988年に創刊した月刊ウララと同じ時代を歩んできた、福井の街のお店、そしてグルメを特集。
そこで出会ったのは35年間ぶれることなく輝き続けてきた、お店の味とおもてなし。
今なお地元で世代を越えて愛され続ける理由について、それぞれのお店の想いやエピソードからひも解きます。
静かな住宅街の一角に佇むログハウスに県内外から多くのピッツァファンが訪れる。店名はジャズソング『birdland』に由来すると言うが、軽快な曲調とは裏腹に、落ち着きのあるモダンな空間が出迎えてくれた。
『バードランド』のオーナーで本格的なナポリピッツァに情熱を注ぐ小田原学さんが店を始めたのは1989年のことだ。地元・三国の出身。バンド活動とスキーに青春を捧げた学生時代を経て、高校卒業後に上京。それから数年間は精力的に音楽活動を続けていたという。
壮観だが街並みに自然に溶け込むログハウスも、若き日の記憶と重なる。中学から住み込みで働いていたのはスキー場。そこで目にしたログハウスは圧巻で、長らく抱いていた憧れのひとつだったと振り返る。
福井に戻ってからは、三国でフレンチ店を営んでいた叔父の下で料理を学び、25歳で独立した。最初からピッツァ一筋だったわけじゃない。「始まりは喫茶店。自家焙煎のコーヒーや紅茶。焼きめしにカレー、サンドウィッチも作っていました。昔は今と違ってファミレスとかもなかったですし、どの喫茶店も食堂も毎日のようににぎわっていました」。
当時はバブルによる経済成長の真っ只中。自家焙煎のコーヒーや海外から仕入れた食器など、高級志向の店づくりがゲストの心を掴んだ。小田原さんが日本屈指の“ピッツァ職人”になる13年前のことだ。
90年代の中頃、日本にイタリアンピッツァ・ブームがやってきた。「僕ね、車が好きなんです。イタリアの車ってかっこいいじゃないですか。服装もかっこいいし、憧れですよね」。
早速、ピッツァをメニューに加えた小田原さん。薄く伸ばした生地をピッツァ用のオーブンで焼いていた。
そんなある日、こんな話を耳にする。《ピッツァの本場はナポリらしい−−》。「イタリア人の知り合いとかと話しても、ピッツァの本場はナポリなんだ、と。ナポリでピッツァを食べなければ、ピッツァを語れない!みたいなことを言われましたね」。
ナポリピッツァとは一体どんなものなのか。日本で食べられるわけでもなく、インターネットすら大衆化されていない時代だったが、偶然にもとある雑誌がナポリピッツァの特集を組んだ。俄然、興味が沸いた。
憧れと好奇心を胸に、小田原さんがナポリに向かったのは11997年のこと。一冊の雑誌を片手に、ピッツァの町に降り立った。「ナポリに行って本物のピッツァを食べたときに『これは日本でも流行るぞ!』というひらめきがありました。それと、本場のナポリピッツァは、生地を伸ばすのも窯で焼くのも、すべて職人の“感覚”だけでやっているんですね。すごく面白いなと思いました」。言葉も通じない異国の地で、独自のピッツァ哲学を追求する旅が始まった。
まずは現地のピッツァを食べ歩いた。この時だけでも20軒以上、定評のあるピッツェリアに足を運び、人気店『オ・カラマーロ』では職人たちに混ざり、ピッツァ作りの基礎を学んだ。
一方で、自分の店を放っておくわけにもいかない。数週間の滞在で手に入れたノウハウを福井に持ち帰った。「すぐにピッツァ窯を店に入れることにしましたね。ピッツァ窯にしても材料にしても、当時はインターネットもなくて、すべてが手探りの状況でのスタートでしたね」。
ナポリで学び、福井でその味を再現する。新たに生まれた疑問を解消するため、次の年もまたナポリに向かう。そんな日々が6年間続いた。
店内には「真のナポリピッツァ協会」から贈られたディプロマ(証明書)が華やかに飾られている。小田原さんの手掛けるピッツァが、本場・ナポリに認められた証だ。「35年もやってこれたのは、多くのお客様のおかげです。本当に感謝しております」と小田原さんは言う。
今や、小田原さんの元には日本各地にいるピッツァ職人からの連絡が後を絶たないという。
多忙を極める毎日を過ごしているが、「日本で最初にナポリピッツァを始めたので、(ナポリピッツァに取り組む)すべての人が僕の後輩みたいなものですよ。一昨日も東京からピッツァ職人がうちに来て、粉の配分を勉強していましたね」とほほ笑む。
2018年からは立命館大学で教鞭をとることになる。昨年11月には客員教授に就任し、「世界ではじめて、ピッツァ職人として大学教授になった」と、イタリアのメディアにも大々的に取り上げられた。
「大学の授業で生徒たちにいつも言い続けていることは、例えば僕がピッツァを作っても、それは僕だけが作ったわけじゃない。トマトソースを作っている人や、小麦粉を作っている人、多くの人たちのおかげでこのピッツァが出来上がっている。料理人はその人達に感謝しながらよりおいしいものを作る係なんだよと、生徒たちに話しています」。
ピッツァの作り方だけでなく、食そのものに対する考え方を深めてほしいと、これまで培ってきた経験・知識を惜しみなく学生たちに伝えている。そんな小田原さんを慕う学生も多い。「卒業論文のテーマがバードランドだったり、レンタカーを借りて店までピッツァを食べに来てくれる子もいるんですよ」。
もうすぐオープンから35年を迎える『バードランド』。その店だけの“オンリーワン”があることが、長く愛される店の共通点だと小田原さんは言う。
「ピッツァは粉、水、塩、イースト。どのお店も、基本の材料はこの4つだけ。その中でどれだけ個性を出すことができるのか。お客さんが食べたときに『これは小田原さんのピッツァだな』と思われないとダメなのです。それが長続きの秘訣。でもそれが大変なことですけどね」。
生地の発酵から伸ばし、焼き方まで、一つひとつの工程へのこだわりと経験の先にこの店だけの味わいが生み出される。
時代の変化は脅威にもなり得る。昨今の物価高や原材料価格の高騰は、小田原さんにとって決して他人事ではない。
「小麦粉やチーズなど、洒落にならないくらい値段が上がっています。だから、僕らも品物の値段を上げないとやっていけない。この店も、最初の頃はマルゲリータが1200円でした。でも今は2000円。値上げしても、昔と同じクオリティの食材を使おうとすると利益がほとんど出なくなるのが現実です。品物の値段は高くなっても、給料が上がらなければ、このギャップを埋めとかないと飲食店は軒並み続けていけない厳しい時代に直面しています」。
ただ例え時代が移り変わろうとも、ナポリピッツァへの情熱が変わることはない。今後はディナータイムに本格的な“ナポリピッツァのコースメニュー”を提供するというプランも考えているという小田原さん。確固たる実力を身につけた今も、追い求めている理想があるという。
「昔、ナポリにある『カパッソ』というお店のマルゲリータを食べたところ、生地が軽くて食べやすい。口の中に入れると溶けるような感覚に衝撃を受けました。今でもあの味が僕の中にある理想のピッツァ。そのイメージはあるものの、今でも再現できたことがありません」。
福井が世界に誇るナポリピッツァ界のレジェンドは、少年のように瞳を輝かせながら、笑顔を浮かべていた。
ナポリピッツァと薪窯焼き料理の店 BIRDLAND(バードランド)
【住所】福井県坂井市三国町緑ケ丘4-19-21
【電話】0776-82-5778
【時間】11:00~15:00、17:00〜21:00(土・日曜、祝日は17:30~)
【休日】月曜(祝日の場合は翌日)、木曜不定休
【席数】30席
【駐車】16台
【HP】あり
【SNS】Instagram
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