35年愛されるお店、愛され続ける味。vol.2|九龍飯店

2023/10/16

1988年に創刊した月刊ウララと同じ時代を歩んできた、福井の街のお店、そしてグルメを特集。
そこで出会ったのは35年間ぶれることなく輝き続けてきた、お店の味とおもてなし。
今なお地元で世代を越えて愛され続ける理由について、それぞれのお店の想いやエピソードからひも解きます。

父から息子へ。継承し、磨かれた味。。
九龍飯店/店主 小野奨平さん

東京の町中華の味を受け継ぎ鯖江で創業。

鯖江市の西循環線沿い、コンクリート打ちっぱなしのモダンな建物と愛嬌のある龍のマークが目印の『九龍飯店』は、福井における本格中華の草分け的存在だ。1989年に小野敏晴さん(故人)・留美子さん夫妻が立ち上げ、福井には馴染みのなかった奥深い中華料理の味わいやその楽しみ方を伝えてきた。
料理への真摯な姿勢が生み出す味わいはレストランガイド『ゴ・エ・ミヨ』でも紹介される。2018年に敏晴さんが亡くなった後は息子の奨平さんが、その味を継承している。
『九龍飯店』の味のルーツは東京にある。敏晴さんの父、武さんが浅草で中華料理店を始め、その後、市ヶ谷に移転。敏晴さんは市ヶ谷の店で父から中華料理を学び、兄の恒雄さんと店を盛り立ててきた。結婚後も重要なポジションを担っていたが次第に独立を考えるようになり、留美子さんが鯖江市出身という縁で福井の地で開業。敏晴さんが35歳の時だった。

当時はバブル全盛期。「景気は右肩上がりで、怖いものはなかったですね。元気で働ければなんとかなる、ダメだったらなんて考えず夫婦で頑張ろうという気持ちで始めました」と留美子さんは開店当時を振り返る。
2人が目指したのは“大人の中華料理店”。「おいしいものを食べたいとき、ちょっと背伸びして日常の贅沢を楽しめる店にしたかったので、私自身もスーツを着てヒールを履き、お化粧もしっかりとして年齢より落ち着いて見えるよう工夫しました。アルバイトスタッフにも蝶ネクタイで接客してもらい、大人の店の雰囲気を演出しました」。
当時は中華料理といえば、ラーメン店を連想する人がまだまだ多かった時代。市ヶ谷仕込みの本格中華は物珍しさもあってオープン時、大行列ができた。

オーダーを聞いただけで馴染み客の顔が浮かぶ。

一方で、受け入れてもらうには時間がかかったという。
「市ヶ谷の店でお出ししていた料理はメリハリの効いた味が主だったので、人によっては『味が濃い』と感じるお客様も多かったようです」(留美子さん)。
敏晴さんはお客の反応を見ながら微調整。基本となるタレの味は変えず、素材や調理工程を工夫して地元で好まれる味を作り上げていった。
フカヒレや北京ダックなど馴染みの薄い料理は注文がない日も多かったが、あえてメニューから外すことはせず、辛抱強く出し続けた。そうした努力が少しずつ実り、「この味が好き」と言ってくれるお客さんがじわじわ増え始めていく。
ふわふわの卵とお酢を効かせたスープが特徴の「九龍めん」もその一つだ。初めてだと酸味のあるスープの味に驚くが、次第にクセになっていく。
「福井は保守的な傾向があり、知らない料理はなかなか食べてもらえませんが、一度食べておいしいと思ってもらえたら、リピートしてくださいます。そういう意味では皆さん律儀で、ありがたいですね」と留美子さん。
そのほか「牛肉のうま煮」「鶏肉の甘酢あん」「小えびと卵炒め」といった創業時からのメニューも根強いファンが多い。
「厨房でオーダーを聞いただけで、お客さんの顔が浮かぶこともあります」と話すほど、愛される存在となっていった。

創業から35年、世の中の流れとともに、お客さんの顔ぶれも変化を遂げた。開店当時はバブル期。鯖江は眼鏡や漆器など地場産業の経営者が多く、会社の宴会利用が多かったが、その後、個人の宴会や接待が増加。テレビでは「料理の鉄人」などのグルメ番組も人気を博し、本格的な中華料理を食べたことがなかった人も興味を持って足を運んでくれるようになったという。
2011年には市ヶ谷の『九龍飯店』が閉店。今や創業時からの味を継ぐのは、鯖江のこの店だけとなった。市ヶ谷の味を知る人が懐かしいと訪れることもあるという。有名人にもファンが多く、フェンシングの金メダリスト、見延選手は「九龍めん」のファン。高校時代には練習帰りによく食べに来ていたほどで、今も帰郷すると食べに訪れる。
「当店の料理を楽しみに来店してくださるお客様、開店時から助けてくれている地元の業者さん、そして当店のために働いてくれている仲間たちがいての35年です」と感謝の思いを述べる留美子さん。温かいつながりが、お店の歴史となっている。

歴代のタレの味が愛される店の味となって。

中華料理にとって味の決め手となるタレがその店の個性となる。『九龍飯店』ではエビチリ、酢豚、麻婆豆腐といった基本メニューのタレのレシピは敏晴さんの父、武さんが考案。勉強熱心だった敏晴さんは市ヶ谷時代のタレのレシピを細かくノートに書き留めてきた。
さらに「黒酢の酢豚」「大えびのマヨネーズソース」など敏晴さんオリジナルのタレも考案。レシピをノートに残している。
現在その味を継ぐのが二代目の奨平さん。中学時代から店を手伝い始め、高校卒業後、調理師専門学校で学んだ後、横浜のホテルの中華料理店で修業。ホールと厨房を経験後、福井に戻ると敏晴さんが亡くなるまでの約9年間ともに厨房に立ち、一通りのことを教わった。

「父は優しい人で、僕がやりたいことに反対せず、やってみろと背中を押してくれました」。
そんな奨平さんは新メニューにも挑戦する。修業先で学んだメニューをもとに考案した「蒸し鶏のピリ辛ソース(よだれ鶏)」は、当初タレの材料にピーナッツを使おうと考えていたが、敏晴さんのアドバイスでカシューナッツに変更した。
「うちの店ではもともと他の料理でカシューナッツを使っていて、手間をかけて仕込みをしています。『せっかくなので使ってみたら』と言われ、完成したのが現在のメニューです」。
カシューナッツの香ばしさとコクが加わったタレが柔らかな鶏の旨味と調和。奨平さんの発想力と敏晴さんの市ヶ谷時代からの経験値が一つになって、オリジナルの一品が完成した。
父を亡くし、奨平さんが一人で厨房に立つようになったのは30歳。敏晴さんがこの店を開業したのと同じ30代での出来事だ。
「主人は『奨平に必要なことは全部教えた。あとは自分で数をこなしていくだけ』と話していました」と留美子さん。

奨平さんは「同じように作っても微妙な味がうまく出せない。自分で作るようになり、父の凄さを改めて感じています」と振り返る。残されたレシピは、店にとっても奨平さんにとっても、大切な宝物。眺めているといろいろな発見があるという。
「現在、提供していないメニューのレシピも細かく書かれていて、『こんな風に作っていたのか』と気づかされることも。自分の手で復刻させたいメニューもいくつかあります」と、奨平さん。
「跡を継ぐプレッシャーもあり、自分の中ではまだ父を超えられませんが、経験を積んでいくしかないですね」と話す。
そんな奨平さんはホテルでの修業時代に学んだワインの勉強をさらに深め、ソムリエの資格を取得。自分で飲んでおいしいと思ったワインをセレクトし、中華料理とワインの組み合わせを提案している。
そして奨平さんの妻、麻里名さんは野菜ソムリエの資格を取得。「季節感のある野菜を使った前菜や副菜を提供できたら」と、夫婦で新しい提案について話し合っている。
東京から福井へ。先代から2代目へ。美味しさに込められた思いは受け継がれていく。

九龍飯店
【住所】福井県鯖江市有定町2-4-28-2
【電話】0778-51-4090
【時間】11:45~13:30、17:00~
【休日】月曜(祝日の場合は営業)
【席数】100席
【駐車】25台
【SNS】Instagram Instagram









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