【渡邉義信のWATANABE語録。】
2019/11/09
「モノづくりの人材育成を通じて社会と地域に貢献すること」を経営理念に掲げる『株式会社プロダクト・マイスター』の代表取締役・渡邉義信社長と日々URALA編集部の対談。令和を生きる、次世代を担う若者たちへ、イマ熱いオトコが語る“ちょっとイイ話”を対談形式でお送りいたします。今回は第2弾 (前回のお話はこちら)
人材派遣業界の道へ
--前回は生い立ちから人材派遣業界へ飛び込むところまで話していただきました。ここでいよいよ起業ですか?
渡邉:まだですね。金沢に本社のある人材派遣の会社に入社して、福井営業所勤めでした。前回も話した通りでして京都に帰れん、名古屋転勤って空気になったタイミングで、人材派遣の業界へ飛び込んだんです。
--そういうわけですね。少し気になったのですが、社長はこの時ご結婚されてましたよね。
渡邉:ハイ、そうです。Yザキ製パン時代に。いわゆる社内恋愛(笑)。この時に子どももいましたよ。
--でしたら、転職ともなると反対はなかったのですか?
渡邉:ですね、大反対!総スカンくらいましたわ(笑)。Yザキ製パンにいた時いいますと、今と全然時代背景が違いまして。成績上げた分もらえる歩合ってやつがありました。当時、営業職でしてノルマ以上に成績を伸ばして、かなり給料いただいてたんですね。ひょっとして今より良かったんじゃないか、っていうくらい(笑)
--スゲー給料良かったんですね。
渡邉:いくら「やりたい事がある‼」って言ってもそりゃあ反対されますわ。自分が妻だったら、“旦那がめっちゃ稼いで贅沢できているのに、職を変えて我が家の経済状況がガンと落ちる”ともなれば大反対しますわ(笑)