【麺 to the future|宗近製麺】
2019/11/30
福井県の食文化を語る上で欠かせないのが“そば”。かつて県内でも50社ほどの製麺所があったのですが、現在は十数社と激減。それでもそばや麺文化の普及のために、それぞれが経営を継続しています。『株式会社 宗近』もその一つで、同社四代目、宗近鉄也さんは様々な挑戦を続けているところです。
そこで、宗近さんの“麺のプロ”として考えていることや役立つ豆知識、挑戦したいこと、未来への想いなどを『麺 to the Future』として、月に1回程度、インタビュー形式でお届けします。
全12回の連載、第1回目は自己紹介を兼ねた、「DJ仕込みの麺のプロ、誕生秘話」です。
宗近鉄也(むねちか・てつや)
株式会社 宗近 専務(四代目)
1980年、越前市(旧武生市)生まれ
高校卒業後、大学進学を機に上京。大学卒業後は某企業で数多のクレーム対応に従事、約6年間勤務。その後、奈良県の製麺所に就職、約4年間勤務。32歳で実家である『株式会社 宗近』に就職、35歳で専務に就任。現在に至る。
DJ仕込みの麺のプロ、誕生秘話
-現在、四代目として活躍中ですが、大学卒業後すぐに継いだわけではないのですね。
高校2年生でクラブミュージックに傾倒し、DJに憧れました。友達と一緒に文化センター(越前市)でDJイベントも開催したくらいで、当時は東京でDJになりたいと本気で考えていました。
-勉強のかたわら、DJ活動も積極的だった。
大学生の頃はDJをさせてもらえるクラブに頻繁に通い、勉強以上に充実した4年間でした(笑)。
就職を考える時期になってもDJへの夢を諦めきれず、夢実現のためにお金を貯めようとそのまま東京で就職。仕事の傍ら、DJや作曲をしてレーベルを立ち上げ、イベントも主催しました。自作レコード5枚を持って、『エイベックス』に売り込みに行き、玉砕されたのは良い思い出です。
-そのまま音楽の道を進んでも良かったと思うのに28歳で転職、東京を離れます。音楽への悔いはなかったのでしょうか。
音楽活動でいろいろと経験する中でふと、「日本中どこにいても活動できるなぁ」と思ったんです。
契約していたレコード会社が倒産して、今後どうしようかと考えていた時期で。その頃、タイミング良く(笑) 父親から家業のことで連絡がありました。幼少期からの刷り込みで、「いつか家業を継ぐんだろうなぁ」とは漠然と考えていたので、東京での生活を終わりにしました。
今は、音楽への悔いは全くありません。それくらい一生懸命やったし、充実していました。現在は趣味程度に続けています。
-転職先の奈良県『三輪山勝製麺』で約4年。家業継承前の修行期間とも言えます。
28歳、まだまだ世間知らずなのに、どこかで仕事を軽く考えていました。その結果、営業初日、得意先で大きなミスをしてしまい、当時の部長さんから大目玉をくらってしまいました。当然、すぐに担当交替です。
幸いなことにその得意先との企業間のお付き合いは継続して頂けましたが、私が担当に戻ることはありませんでした。
それがずっと心に引っかかり、悔いが残ったままだったので、実家に戻る前、得意先の担当者に謝罪の手紙を送りました。
-手紙?! 得意先の反応はどうでしたか?
自分が修行の身であること、そして当時の過ちを深く反省し、部長さんにお叱りを頂けたおかげで目が覚め、仕事に邁進できるようになったことなどを書きました。その部長さん、今では専務になられていますが、おかげさまで今でもすごく懇意にして頂いています。本当にありがたいことです。
-修行先である製麺所で習得し、今も生かされていることは?
製造や営業など、基本はどこも同じですが、社長が作り出す麺は凄かった。麺を作る天才というか、持って生まれた天性というか…。絶妙な配合によって素晴らしい麺が出来上がっていくのです。
その技や考え方を間近で見て、感じることができたのは貴重な経験でした。
以来、自分もいろんな配合を試しながら、社長のことを思い出しながら、経験を積んでいるところです。