【パルタージュ】
2020/03/17
これまで経験したことがない体の不調が“その日”の前日にあった。
翌日、仕事先で途中から寒気と頭痛に襲われた。社長や店長が気を使ってくれるのを「そんなに辛そうな顔をしているだろうか」と思っていたものの、みんなが帰宅した後、閉店準備をしていると左胸が痛くなってきた。
痛みがピークになったのは午後8時過ぎ。最寄りの地下鉄はストライキで止まっていた。「一人で帰れるだろうか」と思い自宅に連絡したところ、夫はすぐに18番(消防署の緊急番号)で消防士(ポンピエ)を呼んでくれた。
その後、到着した3人の消防士は医者が到着するまでの約15分の間に何度も私の血圧や熱、心拍数を測ってくれた。電話から30分後には車が2台、黄色いライトを回しながら店の前の細い道を塞いでいた。
消防車でセーヌ川を渡り、メトロ『ポー・ロワイアル』近くの病院に運んでくれたのは、鍛えられた体つきの20代と思われる丸刈りの消防士たちだった。その後、病院での手続きを終えて次の仕事へと向かおうとする彼らに、私は痛む心臓を押さえながら何度もお礼の言葉を伝え、その姿を見送った。
診断の結果は急性心膜炎で3週間の安静(運動禁止)が必要と伝えられた。今回の作品はその療養中に掘った木版画だ。(私が)小学5年生の時、柿を取っている家族の木版画で賞をもらい、先生から原板に「おめでとう」と書いた紙で包んでもらったことを喜んだ記憶が残っている。
福井に住んでいた頃、実家のすぐ近くには消防学校があって、消防士を目指す若者たちが低い掛け声とともに黙々と近所をランニングしていた。現在もパリで利用している運動場やヴァンセンヌの森では消防士たちがジョギングをしていて、私はその姿を遠巻きに眺めている。
親しみを感じつつなぜか近寄りがたい雰囲気があるのは、きっと彼らの団結とプロ意識の高さからくるのだろう。フランスでは消防士の約8割がボランティアだと後日知ることになった。もしかすると私がお世話になったあの消防士たちもボランティアだったのかもしれない。
今では消防車のサイレンが聞こえるたびに心の中で感謝と応援のエールを送っている。
画家/五百崎 智子
1971年、福井市生まれ。パリ在住。福井大学、大学院で油絵を中心に学ぶ。卒業後、ニース大学、パリ国立高等装飾美術学校で語学や絵画を勉強。パリでフランス人の夫、16歳の娘と暮らしている
2020/04/14
2020/02/12
2020/02/12
2020/04/14