南加賀最古の天神社。斎藤さん姓発祥の地「菅生石部神社」

2020/04/12

菅生石部神社の入り口の鳥居

「敷地物狂」の舞台、加賀国二ノ宮「菅生石部(すごういそべ)神社」は、菅生天神や敷地天神とも称され今も昔も多くの崇敬を集めています。日本で最初に「斎藤」を名乗った斎藤叙用(のぶもち)が自ら氏神としたのが、菅生石部神社に祀る菅原道真公。斎藤家と言えば光秀を家臣とする斎藤道三を “モックン”こと本木雅弘さんが、演じていますが、その関係はいかに。


厳かな雰囲気で静寂に包まれる境内

能「実盛」に登場する木曾義仲より能美の庄(今の石川県能美市周辺)を寄贈されています。後に叙用の子孫が美濃国の目代として赴任することとなり、その際に菅生石部神社より斎藤家が関係する美濃国各地へと天神様を勧請しました。美濃の天神社、天満宮全17社はすべて菅生石部神社より勧請された社です。このほか京都市敷地神社(わら天神)、鯖江市敷山神社など関係の社が多くあります。


さまざまな想いが書かれる天神絵馬

創建は1400年余。南加賀最古の天神社であるため合格祈願者も多くみられます。また菅生石部神社では家内安全、商売繁盛、厄除け、交通安全などのご祈祷、結婚式も行われています。

なお、斎藤家の他に越前「斎藤家」があり、その支流から後藤、加藤、林、富樫などの姓が誕生しました。能「実盛」は加賀国に於いて討ち果てた斎藤別当実盛のお話ですが……、ここには何かの因縁を感じます。そしてこの斎藤家の縁戚にあたるのが後の加賀藩主となる「前田家」。前田利家といば、信長が“犬千代”の愛称で特に可愛がっていた戦国大名。後に光秀の謀反により討たれますが、これも因縁でしょうか。


スギなどの巨木に囲まれた社殿右の奥にある祠

この菅生石部神社の社殿造営や多くの寄進を行った加賀藩前田家は能に造詣が深く、加賀藩前田斎泰公とその子息である大聖寺藩前田前田利鬯(としか)公が能を明治期の次代へと繋ぎ、今もなお能楽が存在させることに大きな功績を残しています。そして大聖寺に於いても加賀市錦城能楽会がその意思を受け継いでいます。


加賀市指定文化財の神門

入口の石段を進むと江戸に建てられた「神門」があります。総欅造りの楼門は加賀市指定文化財に指定されている。設計者は建仁寺流を受け継ぐ加賀藩の名大工・山上善右衛門嘉広の系統で七代目・善右衛門吉順と伝わっています。


旧国宝、重要文化財が残る宝物殿

崇敬では、伏見天皇の頃から正親町天皇の頃よまで春秋年2回、の「居入祭」(おりいさい)に朝廷より御衣・神宝がお供えになりました。居入祭に遅れた際の詫状や皇子ご降誕の祈祷礼状が残っています。そのほか、木曾義仲、足利義持、豊臣秀吉をはじめ前田家による寄進や奉納も多くありました。現在もその多くが宝物として残っています。

病気平癒や安産、厄除け、合格祈願を願いに。そして斎藤家のルーツをたどるべく菅生石部神社に足を運んでみてはいかがでしょう。


菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)
【住所】石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
【電話】0761-72-0412
【時間】9:00~17:00
【休日】無休
【駐車場】あり
【HP】あり




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