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2020/03/28
アメリカ・ロサンゼルスを拠点に、全米で活躍する福井県出身のジャズピアニストの馬渕侑子さん。昨年、アメリカでリリースした4thアルバム『Yuko Mabuchi Plays Miles Davis』が名誉ある賞を受賞。ジャズの本場で精力的に活動を続ける彼女に、ジャズとの出会い、アメリカに渡ったきっかけ、福井への思い、ジャズの魅力についてなど、さまざまなことを伺いました。
――ピアノとの出会いを教えてください。
母がクラシックピアノ講師なので、幼い頃に「音楽を勉強する」ことは理解していました。4歳から音楽教室に通い始め、その後すぐ個人でピアノを教えている先生に10歳までつき、スキルアップに合わせて大阪、次に京都と場所を変えレッスンを重ねていきました。子どもの頃から人前での演奏するのが大好きで、10代になるとクラシック音楽以外にも興味を持ちはじめました。どんなジャンルを弾いていくのかは分かりませんでしたが、ピアノはずっと弾いていくと思っていましたね。
――ジャズにはいつから興味を持ち始めたのでしょうか?また、そのきっかけを教えてください。
5〜6歳の頃にラジオで聴いた、アメリカの音楽にとても惹かれたことを今でも記憶しています。また、父がいつも家や車でジャズやソウル、ラテン音楽をかけていました。その音楽にはたくさんのリズムがあり聴きやすく、気分が高揚しました。10代半ばになると、アメリカンポップやR&Bを、そしてジャズピアノの巨匠である、オスカー・ピーターソンや、モンティ・アレキサンダーを聴き始めました。ハービー・ハンコックやマイルス・デイヴィスのようなジャズの偉人が、ヒップホップアーティストとコラボレートした作品を聴いた時には、音楽の未知なる可能性と楽しさを知り、自分もピアノであらゆるジャンルを弾けるようになりたいと思い、ジャズを学び始めました。
――高校卒業後に京都の音楽専門学校にて亀田邦宏氏に師事し、本格的にジャズを学び始めましたが、亀田氏から学んだこととは?
亀田邦宏氏はとても素晴らしいピアニスト、教育者であり、また、人間的にも素晴らしい方です。先生からジャズ理論、パフォーマンス、アンサンブル、ジャズの譜面の書き方などを学び、私が演奏したい曲をプレイする為の基盤を教わりました。
――2010年に亀田氏の勧めでロサンゼルスに留学しますが、迷いはありませんでしたか?
ジャズを始めた頃から、本場で学びプロになりたい夢があったので、迷いはありませんでした。アメリカを早く見てみたいという好奇心でいっぱいでした。ジャズの勉強を続ける為、亀田先生が彼の知人が講師を務めるロサンゼルスの「ミュージック・パフォーマンス・アカデミー」を勧めてくれたのですが、実はボストンにあるバークリー音楽院の奨学金も決まっていて、でも、残念なことにアメリカの高価な都市での生活費をカバーするのが難しく、ロサンゼルスの音楽学校選びました。両親は私が昔、クラシックピアノの興味を失い始めたとき、とても残念がりましたが、ジャズでピアノを続けると決め、将来について前向きに決断したことをとてもよろこび、アメリカ留学も応援してくれました。
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