90年代のトレンドをアップデートした、ダッドスニーカーやビッグロゴをあしらったファッションアイテムのブームで、若い世代を中心に人気を集めるスポーツブランド『FILA』。FILA JAPANが 2020SSの「HERITAGE」ラインからリリースした、 カプセルコレクション「FILA×RYOSUKE MISAWA」。東京を拠点に活躍する、福井県出身の写真家・三澤亮介さんに、コラボレーションの裏側、写真との出会いについてなど、さまざまなことを伺った。

「君の普通に撮っている写真が好き」。この一言で始まったコラボレーション
――FILAとのコラボレーションは、どのような経緯で実現したのでしょうか?
FILAの担当者の方とは、とあるイベントで知り合ったのですが、、最初はコラボレーションではなく、何かルックなどのビジュアルをぜひ一緒に作らせて下さい。という話を僕からしました。
と言うのも、その時は、2018年に一度、「西武渋谷店」とミックス・フリーマガジン「HIDDEN CHAMPION」が主催する写真展にてニューヨークとロサンゼルスで撮影した写真を展示したことはあったものの、今ほど写真家としての自分自身の表現や、コンセプトを考た“写真でのアート活動”という視点での作家活動までは考えてはいませんでした。なので、どちらかといえば、クリエイターとしての意識が強く、既存の服をモデルさんが着て、ヘアメイクやスタイリングされた世界で、そのビジュアルを自分が撮りたい!という気持ちでいました。
すると後日、僕の写真を見た担当者から一度ミーティングしようと言われまして。ルックを撮らせてもらえるのかと意気揚々とよろこんで打ち合わせに向かったところ、「実は君の普通に撮っている写真(風景や私写真)が好きだから、写真家としてFILAとコラボレーションしてみない?写真を使ったアイテム作ろうよ」と言っていただきました。
――三澤さんが考えていたこと以上の提案をされたんですね。ルックのつもりが、コラボレーションとは…。凄いお話ですね。
予想していなかった話だったので、最初の反応としては「え?僕ですか?」というのが正直なところでした。笑
それまで写真を好きで撮ってきたものの、わりと流れみたいな部分が大きく、自分の伝えたいことや表現手法について、作家として真剣に考えるタイミングをついつい後回しにしてきました。仕事での写真ばかりで、忙しく過ごしていたので、いざ“写真家”として、テーマ選定から自分で行ない、表現する行為には困惑しましたし、写真を提出するまでの間は、自分の中のそれまでにはない感覚と思考をフル稼働して、葛藤する時間になりました。
――FILAは世界各国で、さまざまコラボレーションアイテムをリリースしていますが、それらアイテムからアイデアが浮かんだり、影響を受けたりはしませんでしたか?
これは全くないですね。各国でコラボレーションアイテムが作られている中で、 FILA JAPANのコラボは著名な歌手やモデル以外(イラストレーターなどのアーティストとのコラボ)、日本独自のリサーチとセレクトだと認識しています。なので、僕のような新人作家にも声がかかったのだと思います。
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テーマは「東京の光」。世界中の人と、2020年の空気感や景色を共有したかった
――『Ryosuke Misawa×FILA』は「東京の光」がテーマですが、このテーマに着地するまで、時間はかかりましたか?
テーマ設定も、撮影から提出までもで、恐ろしく時間がかかりました。
それは自分の中に、それまでそのような視点で写真表現に向き合う経験がなかった事が原因です。最終的には、僕が伝えたいことは、本来であれば開催予定であった東京オリンピックに、世界から東京に来られる方々と、2020年の空気感や景色を共有したい。ということ。と考え、写真表現において特徴的である”光”そのものを捉えることに決めました。
何より僕自身の心象風景を伝えるには、写実的に世界を捉えるのでは、あまりにかけ離れてしまっていたし、もっと抽象的なイメージでしか伝えられる術を持っていなかったことにも起因しますが、、。“東京の光”を捉えれば、自分が東京に対して感じていること、世界の人に“イマ”伝えたいことが見えてくるはずだと考えました。
この辺の思考のプロセスはいまのアーティスト活動の基盤になっている大切な部分です。そういう意味でも、大切な分岐点というか、苦しかったですが、写真家としての表現にとことん向き合わせさられた時間でした。
――撮りおろしの作品を、パーカーやトレーナー、Tシャツ、セットアップに落とし込んでいますが、写真が変わることで、そのアイテムのイメージも違うものになると思います。どのような考えから、アイテムと写真を組み合わせていきましたか?
ありがたいことに、好きなテーマで好きに撮ってきて欲しい。と言われていたので、その辺りは写真が出そろった時に担当の方と、どのアイテムにどの写真が合うかを話しながら決めていきました。
――FILAとのコレボレーションということで、ブランドイメージもしっかり守りつつの、仕事だったのでは?と思います。いつもの撮影とは違った緊張感もあったと思います。
序盤でも書かせていただいたように、ブランドイメージを守る前に、僕自身の写真表現に”アーティスト”として向き合う。というプロセスから入ったので、思考の繰り返しから実制作までかなり時間がなく、、。それでもお話をいただいてから約半年の制作時間はありましたが。笑
とにもかくにも作品があがるまで、メンターのようにアドバイス下さり、根気よく待って下さった担当の方には頭が上がりません。
――かなりのシャッターを切ったといます。無数にある「東京の光」をどのような視点で切り取っていったのかが気になります。撮影の現場、空気感はどういったものだったのでしょうか?
コンセプトを決めてからの4カ月ほどは、毎日なんでもない時もカメラを持って写真を撮っていました。視点としては、”視点をあえて決めないこと”も重要視していました。“フォトグラファー”として写真を仕事にしてからは数年経っていても、“写真家” としては超新人なので。
それに、普段仕事でしか写真を見ていない僕の“視点”は、自分自身といえども狭すぎて、上がった写真を見ても飽きるというか、、これまでの枠を出ないのです。なので、いい意味で自分を信用し過ぎず、これまでの価値観を捨てて撮りまくっていました。もちろん自分の根底である感覚だけはそのまま据え置きで、です。
現場は側から見たらなかなか怖いと思います。成人男性が1人でブツブツ言いながら首を傾げては街を撮っている訳ですから。ただ、どうしても写真を撮る“行為そのもの”が楽しくなってしまう日があって、そういう日は自分へのご褒美みたいな感じで自分に好きに撮らせました。そうなってしまうと、気づくと深夜になっていたり。そんな日は、まぁ何か1つでも新しい視点があれば儲けもの。くらいに思ってます。なので、そんな時は唯一の息抜きも写真になってますね。
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ストリートカルチャーの魅力は、自由であり、柔軟であることだと思います
――さて、次は写真家になった理由をお伺いしたいのですが、カメラにはいつ頃から興味をもちはじめたのでしょうか?そのきっかけを教えてください。
これは25歳の時です。大学を出て、東京の広告代理店でサラリーマンをしていた時、会議でキャスティングの発言が出来ず、僕は若手社員なのにユースカルチャーを知らな過ぎる!と思い立って、本屋にカルチャー雑誌を見にいきました。確か、当時目的通りどんぴしゃのユースカルチャーがテーマの号です。その時に、自分が知らないだけで、さまざまな分野でこんな個性豊かな若い子達がいるんだ!と思い、自分もこういう子達に出会って、その存在を伝えてみたいと思いました。そこで、まずは近場から。ということで、福井に帰省したタイミングで、使い捨てカメラを買って幼馴染みを撮りました。
これが意思を持って撮影した最初の写真です。その後、東京に戻ったタイミングで、東京でも周りの友達を撮るためにカメラを買いました。そのカメラを持って先輩と居酒屋で飲んでいたところ、隣の席にたまたまとある有名な歌手の方が座っていて、「きみ、写真やってるの?じゃあ俺のこと撮ってよ」と話しかけられました。そのまま仲良くなって、その人のLIVE写真を撮るようになりましたね。そこから次は服のブランドからお話を頂きまして。
その勢いで写真を仕事にできるのでは…?と思い、数カ月後には会社を辞めた。という感じでキャリアは始まりました。元々、アートなどの表現活動には興味があったのですが、カメラ/写真には無かったですね。僕の古い友達とかは驚いてると思います。もちろん、今は自分にはこれしか無い!という気持ちでいますし、日々写真のおかげで幸せです。
――大学では現代心理学部映像身体学を学んでいたそうですが、正直、現代心理学部映像身体学???という感じです。 どのようなことを学ばれたのでしょうか。
これは難しい質問です。笑
ざっくりいうと、心理学をベースに映像表現や身体表現を学ぶ場所です。なので、コンテンポラリーダンスをしたり、舞台を見に行ったり、映画を撮ったり、です。自由な時間が多いので、映像作品を作ることがゼミによっては求められていました。同級生には映画監督志望や脚本家志望、ダンサー志望に俳優志望が沢山いましたね。そういったアーティスト志望がひしめき合っていて、変わっている人や個性的な人が偉い!みたいな雰囲気もどこかある学部でした。
そんな場所にいましたが、なんだか僕はどこかぼーっとしていた気がします。心の底から求めて、突き詰めたい表現にその時は出会えなかったですし、焦ってそうで無いものを表層的に自分ゴトにするのも、違うかなと。カッコよくいうとそんな感じで、ほとんどは友達とモラトリアムを謳歌していたと思います。これは親に感謝ですね。
――2018年からニューヨーク、ロサンゼルスのストリートシューティングでフォトグラファーとして活動を開始されますが、なぜストリートという場所を選んだのでしょうか?
シンプルに“そこしか無かったから”です。海外にコネクションもなく、フォトグラファーとしての経験値もありませんでした。僕が持っているのは、センスとカメラだけ。出来るのは英語での声掛けとシャッターを押すことだけ。でしたので。
もっとも、カメラ経験者でライティングの技量やレタッチ技術があれば、向こうのフォトスタジオや外国人フォトグラファーのアシスタントとかも考えたかもしれません。ただ、いかんせん自分の感覚だけを自信に、勢いで会社を辞めた何も無い人間が、海外に行ったから急に上達するわけでは全くないです。当然のように道で立ち尽くして、声をかけては、通り過ぎる人達をがむしゃらに撮っていたって感じです。
――プロフィールを拝見すると、「ストリートカルチャーへのアプローチと新たな表現を求めて」と書かれてありますが、三澤さんが思うストリートカルチャーの魅力とは?
自由であり、柔軟であることでしょうか。がむしゃらにストリートスナップを撮る中で、得たものと言えば、ストリートでの出会いやそこでの友達がメインかと思います。よくわからない日本人も受入れてくれる姿勢というか。その分、自分をもっと出せたら良かったなぁ。と振り返ることもあります。いまでも他国のアートシーンやストリートカルチャーには強い興味がありますね。周りの友達から聞いて、最近はベルリンに興味があります。
――1年間のアメリカ生活が、フォトグラファー三澤亮介にどのような刺激、影響を与えたのでしょうか?
これは1年ずっと定住して行っていた訳でなく、1カ月程度ずつニューヨークやロサンゼルス、イタリアを回っていたので、そこまで無いかもしれません。笑
まぁ、海外ストリートで1000人近くには声をかけて撮ったので、少し怖い目にも会ったりしましたし、度胸はついたかも知れませんね。笑
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世界と物理的にも繋がれる写真家/アーティスト、福井の若者へ刺激を与えたい
――Webメディア“Qetic”にて写真連載“25’s view”を担当されていましたが、25人の25歳に「いまの答え」をインタビューって、面白い企画ですね。三澤さんは25歳のころ、何をし、何を考えていましたか?
この企画を始めた理由は、僕が写真を始めたタイミングが理由です。25歳の頃に写真に出会ったので、他の人にとって25歳ってどうなのかなー?という個人的な興味です。個人的なことってクリエイションにおいて意味が強いですよね。
――今年1月に、東京で初の個展『仮面舞踏会』を開催されましたが、テーマが「SNS社会へのアンチテーゼ」とうかがいました。この個展では、作品を見に来る方にどのようなことを感じ取ってほしかったのでしょうか?
あの個展は、完全に“主張と実験”ですね。SNS社会のあり方を今一度考え直しませんか?という僕からのメッセージであり、あの時ぼくが社会に対して言いたかったこと、言わなければいけなかったことです。
その時は、そういう気持ちだったので。ただ、その時伝えたいことをこれまでのスタイルを無視してでも伝えること、その衝動を無視したらその瞬間から表現者としての退化が始まると思っているので。そういった点では、FILAのコラボを経て、自分自身の意識は写真を通じて表現すること。という確固たるテーマへと大きく変わっていきました。
――これからどんな作品を撮影し、どんな写真家になりたいと思っていますか。
今は抽象写真家/アーティストとしての作品を日々作っています。これは自ら実写で撮影した写真を素材とし、僕自身の心象風景をテーマに制作を行うアートプロジェクトです。
僕の心の中の景色=僕自身が社会をどう見ているか。を写真によって表出させ、それを自身の感覚によって作品に仕上げることで、写真というメディアそのものの実写性への問いかけにもなっています。簡単にいうと、自分の中の自分を知る。そしてそれは世界と繋がり、循環しているということです。なので、これからは自分の作品を作り続けて、世界と物理的にも繋がれる写真家/アーティストになっていきたいです。
あと個人的な話としては、福井の若者、特に10代くらいの若者へ刺激を与えたいです。僕自身が福井で10代の頃に感じてきたこと。不自由であると自分で決めつけていたこと。そして現在は、最も大切なのは、自分のいる場所ではなく、自分自身のマインド(考え方)だと思っていることを伝えたいです。
そう思って生きていけば、自分の伝えたいこと、表現したいことが明確になっていきますし、世界に対してどういうアクションを起こすのか?を自分ゴトとして考えられるのかなと思います。まずは、そういったことを一緒に寄り添って、考えられるきっかけになれたらいいなと思っています。
――最後の質問です。三澤亮介の写真をひと事で表すと?
僕の見ている世界であり、みんなが生きている社会そのものです。
三澤亮介(みさわりょうすけ)
1992年生まれ、福井県出身。自身の心象風景を、カメラを通して表出させる技法で写真を使ったアート作品を制作。渋谷西武×HIDDEN CHAMPION主催の“POP&STREET AN ANNUL2018” への選出や、2020年には、FILAから「RyosukeMisawa×FILA」のコラボレーションアイテムを発売。今、注目の写真家である。
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