【パルタージュ】
2020/04/14
昨年、初挑戦したパリマラソンからもうすぐ1年が経つ。マラソンの翌日、火災に見舞われたノートルダム大聖堂へと足を運んでみると、その光景は「目に見えるものの不確かさ」の象徴のように私の目に映った。その反面、着実に修復工事が進んでいることを知り、再建される日もそう遠くはないだろうと希望を感じている。
パリマラソンには今年もエントリーしていて、年末ごろから体調がすぐれなかったこともあり、ようやく練習を開始したのはちょうど新型コロナウイルスで周囲が騒がしくなり始めた1月末ごろのことだった。
ある日、いつもの運動場で走っているとサッカー少年が私の方を見ながら「ほら、ウイルスだ」と言ってきた。彼のからかうような仕草に一瞬、どう対応すればいいのかわからず、戸惑うしかなかった私はこの出来事をきっかけに愛着があった運動場から足が遠のくようになってしまった。
パリで暮らしていると、普段から道を歩いている時、小学生くらいの子供に「ニーハオ」と手を合わせて頭を下げる仕草をされ、突然挨拶されることがある。またマルシェに出かけるとアラブ人からはよく中国人に間違われ、同じように声をかけられる。
私自身、彫りの深いフランス人とアラブ人を一括りにしてその違いをあまり気にしたことがなかったので、フランス人が日本人と中国人、そのほかのアジア圏の人たちを区別できないのはある意味、当然かもしれない。
そもそもフランスに住んでいる私はフランス人ではなく、アジア人と認識されている。「ここではガイジンなのだ」という肩身が狭い感覚は、アジア圏だけでなく同じ立場の外国人との仲間意識を私に芽生えさせるのだ。
毎年福井の実家に帰ると、すぐ横の田舎道を外国人労働者が元気に挨拶をしながら、自転車で通り過ぎていく。庭の手入れに勤しむ母は「彼らに余っていた鍬を譲ったことがあって、庭にある柿の木を切っているときに助けてくれたことがあった」のだという。
母が遠く外国で暮らす娘を思って親切にしたのかどうかはわからない。ただ、その時の彼らの気持ちを同じように異国に住む私が共感できるということは、きっとこれからの人生の糧として大切なものになるだろう。
画家/五百崎 智子
1971年、福井市生まれ。パリ在住。福井大学、大学院で油絵を中心に学ぶ。卒業後、ニース大学、パリ国立高等装飾美術学校で語学や絵画を勉強。パリでフランス人の夫、16歳の娘と暮らしている
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