2020/04/17
今週も、URALAバックナンバーから“あの頃”を振り返る「バック・トゥ・ザ・ウララ(BACK TO THE URALA)」をお送りします。
今回は前回に引き続き1988年10月発売の創刊第2号をご紹介! そもそも30年というとかなり長いですね。なんたって年号が「昭和」です。(筆者生まれておりません。)
創刊号もそうでしたが、この頃すでに、表紙は女性モデルが飾っていますね。よく見ると、ピアスでしょうかイヤリングでしょうか、ワニを身に着けています(笑) きっと当時の最先端ファッション! だったはず。
では早速ページをめくっていきます!
2、3ページめくると特集企画らしきものが! タイトルは『「新潟」へ行きたい!』。創刊2号目にして、開いてすぐに新潟の情報をもってくるとはなかなかパンチが効いていますね!
読んでみると「北陸自動車道路の全線開通で、今までより近くなった新潟」と。なるほど、ちょうど北自が開通したタイミングだったんですね。とはいえ新潟市までは福井市から高速で片道4時間半…。
またページを繰っていくと、ありました! 当時一世を風靡した明石家さんまと大竹しのぶのドラマ『男女7人秋物語』をオマージュ(パクリ)したようなタイトル『男女90人秋物語』! 冒頭を抜粋すると、「毎回多数の独身男女が集まるというので、どんなモンなんだろうか? 好奇心旺盛な当編集部はツアー同行取材を試みたのだった。」と、いわゆる婚活イベントの密着記事。
これが当時はツアーとして頻繁に行なわれていたようですね。記事終盤には「いよいよ最後の告白タイム。ねるとん倶楽部よろしく、男のコから女のコへのラブアタック!」とあり、こちらも人気番組『ねるとん紅鯨団』さながらのリアル「ちょっと待ったコール」や「大どんでん返し」があったとか、なかったとか。この回は最終的に90人の中から13組のカップルが誕生したらしく、福井県民にしてはなかなか積極的!
それから、今やURALAの看板企画「ランチ特集」もこの頃すでにありました! 中には今も30年前と場所も変わらず営業しているお店も。歴史を感じますね。
そして大胆な見開きで見つけたのが、あの秋元康さんの「作詞塾 塾生特別募集」の案内! 塾生になると、テキストと課題が送られ、それを送り返すと秋元さんに添削してもらえるという(メールもないのでもちろん郵送)、今では考えられない講座があったようです。
案内文には
“健全な芸能界の明日を見つめ、花の成金印税生活をめざす秋元康作詞塾では、今、塾生の特別募集を行なっています。原稿用紙の中に埋まっているGOLDをペンのスコップで掘り起こすこの通信講座ではこの秋さっそく才能豊かな作品がデビュー。…(続く)”
と尖った内容が(笑)
当時の教材セットはもちろんですが、この案内も超貴重です!
おまけでこんな内容もご紹介。街に繰り出す方のファッションをスナップで切りとる『FASHION WANTED』。どうやら当時はフェニックスプラザでディスコパーティーが開かれていたようで、多くの男女が夜な夜な盛り上がっていた模様。訪れていた方のプロフィールを見ると、16歳高校生、18歳高校生と若い! いや~バブル真っ只中ですね。
福井でも大規模婚活イベントやディスコパーティーなど、今ではなかなか考えられないような催しがたくさん開催されていました!
「そんなこともあったなあ」と懐かしく振り返って頂ければ、と思います。それでは、次回もお楽しみに!
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