2020/04/21
月刊ウララのバックナンバーから“あの頃”を振り返る連載「バック・トゥ・ザ・ウララ」。今週は『サラダ記念日』で有名な人気女流歌人・俵万智さんにちなみ『短歌の街』宣言をした田原町を探訪する企画の1988年12月号から。
この号のモノクロ企画「るふらん加藤の - 街角ドキドキ探訪 その②」では、80年代後半の田原町商店街に訪れてリポート。当時、各地の商店街は客離れが進んでいましたが、そんな中でも田原町商店街は大勢の人出で賑わい活気づいていたようで。
福井鉄道とえちぜん鉄道(※当時は京福電鉄)の田原町駅から近く、周囲にはフェニックスプラザをはじめ、県立美術館、福井大学、藤島高校などの多くの文化 ・ 教育施設がある。このため環境には幾分恵まれている。しかし、同じ商圏内にスデに大型専門店がひしめき厳しい競争を強いられていた。そんな田原町商店街の現在(イマ)は……?
実際訪れてみるとパン屋、めし屋、衣料品店などが軒を連ねるメインストリートは、車通りが多いものの人はほとんど歩いていない。“活気づいていた……”と言われる当時の面影が無いのだ。そんな中、道を歩くマダムに声を掛けてみた。
編集部S(以下:S)「……あのう、ここ田原町商店街ですよね?」
マダム(以下:マ)「そうですが」
S「でも、この写真の“田原町商店街”と書かれた看板が無いのですが?」
そう、編集Sは写真の“田原町商店街”の看板を頼りに商店街を訪れたのだ。しかし肝心の目印が無い。そこでマダムに誌面のコピーを見せたのだ。
S「この写真の看板を探してるんですが」
マ「あ、昔こんな看板があったのですね! でもこの写真の信号は、この通りで間違いないと思います」
通りを歩いていたマダムは昔から付近に住んでいる住人らしい。しかし、このマダムでさえもアーケードのシンボルがいつしか撤去されたことを忘れていたようだ。そしてマダムは語る。
マ「通りに店もいくつか並んでいますけど、エ〇パとか大型ショッピングモールできてから、皆そっちに休みの日にでかけるようになって…」
S「なるほど、ですよね~(笑)」
編集Sこと、ワタクシの物心ついたころは、近所に大型ショッピングモールは無かった。まだ最寄りの駅前はシャッター街ではなく活気づいており、イオンではなく「ジャスコ」。しかし、時の流れにはあらがえず商店街から客は郊外の大型ショッピングモールへと流れる。田原町商店街も例外ではなく、いつしかそんな時代の流れがきたのだ……と、どこかノスタルジックな懐かしさを感じさせる街角探検でした。
で、ページを振り返っていてもうひとつ時代を感じた企画がコチラ「読プレコーナー」。昭和レトロなキャラクター「TOKORO‘S」のグッズを大放出。『笑ってコラえて!』などでもお茶の間で人気の所さんですが、当時はグッズになれば爆発的に売れる、今よりもさらに大人気でした。昭和のタレントさんってよくグッズ化されたような。のりピーグッズとか。「マンモスうれぴー!」ってね♪ コレわかります?
以上、今回は1988.12月号からでした。平成世代の方はわからないワードも多数出たかと思いますが、気になった方はヤホーでググってみてください(笑)。次回もお楽しみに!
日々URALAからのお知らせをLINEで受け取れます!