タグを指定
【渡邉義信のWATANABE語録。】
2020/04/30
モノづくり専門のアウトソーシングカンパニー『㈱プロダクト・マイスター』渡邉社長のドタバタ人生劇場第5弾。前回は、真の「働き方改革」で赤字から黒字へ逆転(前回のエピソードはコチラ)。しかし、あの世界大恐慌「リーマン・ショック」が起きました! その時、渡邉社長はどう動いたのか? 今回はコチラのお話をお送りします。Here We Go!
― 2008年9月「リーマン・ショック」が起きました……。この時会社は?
渡邉:周りのお客さんから一斉に人材を「要らない」って言われて……。世の中にはリーマン・ショックが原因で「派遣切り」にあった失業者が集まった「派遣村」ができましたね。
- 話題となり問題視されましたね。メーカーさんも、もうモノづくりをしない状態ですか?
渡邉:「しない」のじゃなくて、「つくりたくてもつくれない」状態。だから人手が余る。世の中不景気で、発注も一瞬で止まりました。でもウチの社員の雇用形態は“派遣”ではなく、“正規雇用”でしたので。だから辞めてもらうわけにもいかない。
で、このリーマン・ショックで仕事がない時、融資をしてもらうためにどうしよう? 明日からどうしようと悩んでいるこのタイミングで初めて「請負なら一緒に仕事をしてもいい」という会社が現れました。今までは“請負”という事が、なかなか理解してもらえなかったのですが。リーマン・ショックで不景気にも関わらず忙しい業界があったのです。
- どんな業界ですか?
渡邉:ゲーム業界! 当時爆発的に売れていたゲーム機の製造は忙しかったのですよ。
- でも、なぜ“請負”なら仕事をしてもいいよと。
渡邉:この時「派遣」というもののイメージが世間では凄く悪かった。代わりに「非正規社員」という言葉も生まれましたが……。だから企業は派遣社員を使いたくない。
― 本当は忙しくて人手が欲しいのに、イメージが悪いから派遣社員を雇いたくないと。
渡邉:しかし、アウトソーシング(EMS)みたいなカタチならやりたい。海外で安価の受注生産をするのではなく、国内で「しっかりとしたものづくりができる」、いわゆる外注を考えたのです。
― その外注がしっかりできるのが『㈱プロダクト・マイスター』!
渡邉: この仕事との出会いを言いますと、実は……。リーマン・ショック後にやる仕事も無くなったので、地域とかクライアント様の会社の掃除をしていまして。やることもないので社会貢献(笑)。
で、その時ある会社さんに声を掛けられて、「ひとが余っているなら仕事を紹介しようか」と言われました。請負の仕事は創業前からずっと毎日夢みた「青写真」をそのままコピーしたようなものでした。不景気でたまたま舞い込んできた仕事ですが、よく自己啓発とかで言われるように“潜在意識まで届く”という事を実体験した出来事でした。
- 掃除とリーマンがキッカケだったのですね(笑)。
渡邉:それからは頂いた仕事に邁進しました。一時的に売り上げを落としたものの、業績は割と良く今まで以上に回復しました。今振り返ると、実はリーマン・ショックの時はそんなにダメージでは無かった。悪いこと、つらいことなんて創業時を振り替えれば(笑)。
- でも「ドンッ!」と落ちたわけですよね?
渡邉:創業時の方がもっと大変でしたよ(笑)。今振り返るとそんな驚きもダメージもなかった。実は、本当の辛さを味わったのはリーマン以降。ここまではやりたい事、自分の思い描いた仕事もできて、この時に過去最高の売り上げを更新。2011年7月には自社工場を設立することができました。もうウッハウッハの有頂天‼
2020/07/14
2020/07/14