「モノづくりの人材育成を通じて社会と地域に貢献すること」を経営理念に掲げる『株式会社プロダクト・マイスター』の代表取締役・渡邉義信社長と日々URALA編集部の対談。令和を生きる、次世代を担う若者たちへ、イマ熱いオトコが語る“ちょっとイイ話”を対談形式でお送りいたします。今回は第2弾 (前回のお話はこちら)

人材派遣業界の道へ
--前回は生い立ちから人材派遣業界へ飛び込むところまで話していただきました。ここでいよいよ起業ですか?
渡邉:まだですね。金沢に本社のある人材派遣の会社に入社して、福井営業所勤めでした。前回も話した通りでして京都に帰れん、名古屋転勤って空気になったタイミングで、人材派遣の業界へ飛び込んだんです。
--そういうわけですね。少し気になったのですが、社長はこの時ご結婚されてましたよね。
渡邉:ハイ、そうです。Yザキ製パン時代に。いわゆる社内恋愛(笑)。この時に子どももいましたよ。
--でしたら、転職ともなると反対はなかったのですか?
渡邉:ですね、大反対!総スカンくらいましたわ(笑)。Yザキ製パンにいた時いいますと、今と全然時代背景が違いまして。成績上げた分もらえる歩合ってやつがありました。当時、営業職でしてノルマ以上に成績を伸ばして、かなり給料いただいてたんですね。ひょっとして今より良かったんじゃないか、っていうくらい(笑)
--スゲー給料良かったんですね。
渡邉:いくら「やりたい事がある‼」って言ってもそりゃあ反対されますわ。自分が妻だったら、“旦那がめっちゃ稼いで贅沢できているのに、職を変えて我が家の経済状況がガンと落ちる”ともなれば大反対しますわ(笑)
様々なピンチで人に助けられた分、人に喜ばれることを
--でも転職に踏み切ったわけですね。
渡邉:僕がこの人材派遣業を選んだというのは、業種自体の興味よりも「人の役に立てる仕事がしたい」という願望があったわけです。呉服屋の倒産にしろ、Yザキ製パンにしろ、なにかと人に迷惑をかけてきましたので…、そんな思いからです。
--なるほど。
渡邉:人材派遣というのは人に直接関わる仕事です。 “商品が人” となると言い方がおかしくりますけど、“人に関わるビジネス”そういうことに興味があったわけです。
--ここではどのような業務を?
渡邉:事務系派遣というよりは、製造系派遣が主力の会社でした。呉服といいパンといい、何か“カタチとなりモノとなる”方が、イメージが湧きやすいからです。事務とか販売とかはあまり興味がなかったです。
--形となるモノ作りをしたかった?
渡邉:いえ、形となるとモノというよりは…。僕はどちらかというと団体スポーツが好きなんですね。モノ作りというのは一人では何もできない。職人さんは別ですけど、“モノ作りはチーム”。チームで取り組むからには自分たちがマネジメント管理していかないといけません。
--医者が足りなくなったら、病院にドクターXを紹介するような。
渡邉:はい。そして仕事面だけでなく生活面のフォローもします。派遣という業種だけに県外から来る方も多かったですけど。高校時代に野球してた時も、京都の名門校というだけあって県外組が多かったわけです。だからその人たちの気持ちもなんかわかるっていう…。
--生活面もというと私生活の相談も?
渡邉:そうそう、毎日ですよ。24時間(笑)
--大変そうですね。でも人が好きだから嫌いじゃない、と?
渡邉:いや、全然嫌いですッ!(笑)。なんせ24時間ですからね。でも彼らが元気で働けているから、自分の仕事も成り立っているワケです。だから“これも仕事のウチ”と思って働きました。
誰もやらないなら「俺がやる!」
--これから独立となるわけですね?
渡邉:ええ。2006年の3月にこの人材派遣会社を退職して、同年の7月に今の会社を設立しました。この時が41歳です。
--前の会社にいる時はすでに独立を考えられてました?
渡邉:いやぁ、まったく(笑)。自分が社長なんて器じゃない。倒産を経験しているので…。その重さと想いを知っていることもあり、もうやりたくない。
--色々ありましたからね(汗)。でも起業に踏み切ったのは?バックに「起業しないか?」と支援する投資者的存在がいたのでしょうか?自分の考えで?
渡邉:バックもクソもなかったですわ(笑)。こうなったのも時代背景が大きく左右したんですね。 前の会社で働いている中で“製造のノウハウ”を教えていただいきました。そうしている中で色々思うことがあったんです。派遣というのは法律にものすごく左右されます。2000年代はバブルが崩壊した後で、グローバリゼーションが高まり、日本のモノ作りが空洞化しました。
--製造業で国際化の動きが高まったワケですね。
渡邉:でもメーカーさんは国内に技術を残さなあかんという考えで。そして時の政権で規制緩和が始まり、一般事業の派遣業社が製造業に乱立してきました。それでメーカーさんは「これでいいのか、技術の継承にも何にもならん」といって悩まれていました。
-- 国内でのモノづくりが危惧されたんですね。
渡邉:グローバリゼーションが高ると、どんどん仕事が人件費が安い海外へ。技術も流れました。でも、その時に何社かのメーカーさんは国内に技術を残すため、「キチンとした会社に、キチンとした技術を継承しよう」と。メーカーさんも埋もれたノウハウを提供し、派遣ではなく請負で長く仕事ができて技術が残るような取り組みを考えていました。それが当時海外で主流となっていたEMSです。
--EMS?
渡邉: EMSでわかりやすく言いますと、いくつかの大きな下請け工場が世界のアウトソーシングでも数兆円規模の会社へと成長しています。で、その時のお客さんたちと日々「EMSみたいなサービスができるといいね」と、よく話しました。 あと、派遣の若い方は切られやすく不安もあるわけです。でもEMSは長く勤められる安定した仕事ができるのがメリットです。長く続くということは技術の向上・キャリアアップにも繋がりますしね。
--でも新しいことをやるのは、めっちゃリスクあるんじゃないですか?
渡邉:ですね。それが勤めていた会社では実現できないんですね。「このサービスがしたい」と何度もうったえましたがなかなか認められない。当然新しいことを始めるとリスクも伴います。でも今後この需要は増々高まっていくという確信がありました。 で、会社には認められないケド、お客さんたちに「やってくれ!」と要望があり、派遣の時代背景やすべての話が合致して…
「じゃあ、俺がやる!」
と、まとまったというお話です。その先は未知でしたがチャレンジしてみました。
--なるほど。そういう経緯があったのですね。いよいよ起業となるのですが。でっかいバックもいない、資金もない渡邉社長がどうやって起業したのか。そして起業してからは順風満帆?そのお話は次回に。また、見てくださいね♪
代表取締役 渡邉義信
「人」とのつながりを重きに置く、お客様第一主義のアウトソーシングカンパニー『株式会社 プロダクト・マイスター』代表取締役。
好きな食べ物:肉(主に鶏肉)「肉は裏切らない」
株式会社 プロダクト・マイスター
【住所】福井県鯖江市糺町21-1
【電話】0778-53-1231
【HP】あり
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