日々URALA(ウララ)

挑戦です!啓新高校の荻原校長先生を訪ねて|日々気になる人。[第一回]

第一回目は「挑戦です!」のCMでお馴染みの啓新高校(福井市)の理事長兼校長の荻原昭人さん。同校の顔として広く知られる人であり、自他ともに認める熱血漢ですが、果たして、どのような経歴なのでしょうか? プライベートでも熱いのでしょうか? 気になるいろんなことをお聞きしました。

啓新高校(福井市)の理事長兼校長の荻原昭人さん

<プロフィール>
荻原昭人(おぎはら・あきひと)
学校法人 福井精華学園 啓新高等学校 理事長・校長
1966年10月3日、福井市生まれ
高校卒業後、京都の大学に進学(教育系)。大学卒業後、日華化学株式会社に入社し、総務部と営業部(東京支社)に在籍。1993年に同社を退社、父が校長を務める啓新高校に就職、教頭となる。2006年に校長、2009年に理事長も兼務。現在に至る。

  

ザリガニ、プロレス、剣道漬けの少年時代。

――いつも“パワフル全開”のイメージですが、子どもの頃からでしょうか?

小学生の頃はやんちゃで、勉強はあまり好きではなかったですね。でも学校は大好きで、友達も多くて。友達と一緒に用水路に入って、ザリガニやカエル、おたまじゃくしとかもたくさん獲りましたねぇ… 何が面白かったのか、今となっては不思議です。

――中学時代はどうだったのですか?

プロレスが流行ってて、皆でプロレスごっこですよ。窓の桟をリングのロープに見立てて、そこからジャ~ンプ! 掃除の時間には、手ぬぐいを丸めたボールで野球をしたりして。勢いあまって、窓ガラスを割ってしまうことも結構ありました。「また荻原かぁ~」と、よく怒られていました。全部が全部、私が割ったわけじゃないんですけどね。

―― 当時は、今と違って厳しい指導がよく見受けられた時代でした。

そうですね。ある時、教室で雪合戦をしていたら、当然ながらひっでもんに怒られました。

――今なら絶対、ありえない光景ですね……。

確かにそう。でも、今振り返ってみると、何度怒られても、学校は楽しかったし、面白かった。個性的なヤツが何人もいたし、今もその仲間とはつながっています。


――高校時代はいかがでしたか?

剣道一色。クラスメイトよりも、部活動での付き合いが多かったと思います。善い仲間にも恵まれましたが、やはり先輩の存在は大きかったですね。いろいろありましたから。

――いろいろと言いますと?

稽古前の準備や後片付け、道着を洗ったり、小手を乾かしたり、……先輩のために下級生はいろいろやることがあったし、やらなきゃいけなかった。当時の先輩は高校生とは思えないくらい大人びていて、威厳や怖さがありましたね。今の高校3年生なんかはかわいいもんですよ。

――練習自体も厳しかったようですね。

「水を飲むな」が基本。面を外さず、休憩なしの練習なんてザラ。今の常識では、絶対にあり得ないことですね。同期で励まし合いながら頑張ってました。


―― 厳しくとも剣道そのものは好きだったんですよね?

どうですかね……とにかく毎日必死でやっていた感じですね。でも、3年間続けたおかげでいろんなことを学びましたし、先輩にはある意味で感謝しています。

―― 大学は教育学を専攻。選んだ理由は、実家が学校だったからですか?

最初は、学校を継ぐなんてほとんど考えてなくて、「就職、どうすっかなぁ~」くらいの軽さでした。それに父は、「継ぎたくないヤツに、継いでほしくない」と言っていたのを知っていましたから。でも、大学4年の頃、父と将来のことを話す機会があって、自分は何がしたいのか? 改めて自分や家のこと、父、祖父のことを見つめ直したんです。そこで、「後を継ごうかな」って。

――何だか、軽すぎませんか?(笑)

いや、純粋な気持ち! 1927年に祖父が使命感をもって創立・開校して、父が受け継いで60年以上。学校経営には、そこまでしてやる“魅力的なモノ”があると確信したんです。だから自分でやろうと決めました。


――大学卒業後は、すぐに学校の経営に携わるようになったのですか?

いいえ。父から「学校の世界は特殊で、どうしても視野や考え方が狭くなりがちだから、別の世界を見てから入ったほうが良い」とのアドバイスがありました。そこで、父とご縁があり、ご近所だった『日華化学株式会社』さんにお世話になることになりました。

――配属先はどちらに?

会社の仕組みや経営を学ぶということで総務部へ。でも、入社1週間後に開かれた新人歓迎会の帰り道でのこと。上司から突然、「荻原君、次は何をやってみたい?」と聞かれまして……。

―― 歓迎会の帰りとはいえ、上司と一緒ならまだまだ緊張気味。なのに、そのような質問をされて困ったのではないですか?

そう! 何も始まってもないのに、もう次って何?みたいな。思わず、「人と関われる営業ですかね……機会があればやってみたいです!」と答えていました。その結果、2ケ月後、上司から突然、「営業に人が足りないから、行ってくれ!」と。あの夜の答えが人事部に伝わっての結果です。もう、ビックリですよ。

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熱血サラリーマン時代の苦労と喜びは、現在の糧に。

――やはり、初めての営業は難しかった。

私は文系ですから、化学(ケミカル)のことは分からないよぉ~って。でも、営業は自社製品のことは熟知していて当然。ですから3カ月みっちり勉強(研修)し、その後は福井ではなく東京支社に異動! 自宅近くで働いていると思っていた父親も驚いたと思いますよ。

――時代はバブル真っ只中! 楽しいこともたくさんあったと思います。

東京は楽しいところがたくさんありましたから、先輩や友達にいろんなところに連れて行ってもらいました。日本が元気で、活気があり、お金が回っている時代でした。

――営業ならではの苦労といえば、どのようなことがありましたか。

私は金属メーカー担当(8~10件)で、関東一円や東北の一部などを営業車で回っていました。1人で1日500~600km走行したこともあったし、携帯もない時代、連絡は本当に大変でした。それに、何でこんなことで頭を下げなければならないのか?ってことも、しょっちゅうでしたよね。

――思い出深いエピソードをお聞かせください。

製品を使ってくれるのは現場の方。ですから、営業ですがスーツではなくいつも作業着。現場の人に好かれるよう、新人の若造は掃除でも何でもしましたよ。
ある日、製品の検討をしていただき「これは良いよ!」と現場も太鼓判。大口契約決定と喜んでいたのもつかの間、寸前でダメになったんです。聞けば、これがまぁ、大人の事情というか、ショックは大きかったですよねぇ。

――そのショックで会社を辞めたのですか?

そうではありません。3年ほど経ってそろそろかなぁと思い、福井に戻りました。東京時代は忙しくて大変でしたが、福井では決してできない多くの経験や、会社や東京の凄さも学んだと実感しています。


――福井に戻ってからは、“啓新高校”の顔として元気いっぱいです。

好きなコトをやっているから元気なんです。人間、好きなコトや得意なコトをやっていると、自然と元気になるもんですよ。私の好きなコトは学校! いや、“啓新高校”です。常に学校のことを考えていて、あれもやりたい、これもやりたいが溢れてくる。そういう意味では、今はオフィシャルとプライベートの区別はないかもしれません。

――CMやブログを拝見したり、学校での様子をお聞きしていると、自信家という雰囲気です。

実は意外とそうでもなくて、“ノミの心臓”なんです。毎朝、鏡に向かって自分に語り掛けるんです、「今日はきっと良いコトがある」「オレって最高!」「今日も行くぞぉ~」とか言って。そういって1日のスイッチを入れているんです。

――朝のスイッチは、いつ頃から入れるようになったのでしょうか。

福井に戻ってからですね。当時、26歳でいきなり教頭ですから。先生の大半は年上でベテラン揃い。で、教頭は何でも知っていなきゃいけない存在だから、そりゃ大変です。そうやって潜在的にやっていかないと出来ないですよ。それに、1カ所(学校)に1000人もいれば、いろんなコトが起こるし、起こって当然。私だって心が折れたり、精神的に病んだり、「人間って弱いんだなぁ」と痛感したことはあります。


――辛いことを日々、引きずっていては心も体も持ちません。だから毎朝、新しい気持ちでスイッチをオンにしないとその日を始められないということですね。

今は、これまでのいろいろな経験があるから、何が起こっても対処、対応できるし、先も見通せます。ピンチをチャンスに変えられる、大丈夫!という自信を持ちながら、スイッチを入れています。それと同時に、「今日は学校で何が起きるかな?」と楽しむ気持ちで朝を迎えています。

――好きなコトのためには健康も重要ですが、心がけていることを教えてください。

睡眠は十分、食事もバランス良く、サプリメントも多少。それと週1日、2時間は必ずジムで体を動かしています。睡眠時間は5~6時間。アラームで起きて、基礎英語を聞いてます。日常英会話くらいできるようになりたくて、起き抜けに頑張ってます。

――それ以外に頑張っていることは?

剣道の7段を目指しています。剣道は自分と見つめ合えるし、心と向き合えるし、奥も深い。強い心と弱い心……ふっと心が動いてしまう時に勝負がつくのが楽しくて、好きです。「挑戦です!」が左手なのは、剣道で左手が大切だからなんですよ。


――剣道と同じくらいカレーも好きです。

子どもの頃の母親の作ったカレーが好きで、大学で一人暮らしをしてた時もよく食べたし、作りました。時間がある時はいろんな野菜を1日中煮込んだことも。でも、大抵はルーだけの“ルーカレー”。ご飯さえあれば何杯でもいけるし、友達と1升食べたこともあるくらい。

――他に好きな食べ物は?

最近は学生の打つそばが、本当に美味しい。美味しすぎて、幸か不幸か、他の店になかなか足が向かないんです。

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学校LOVE、生徒LOVEでも、家庭ではフツーのお父さん。

――若かりし頃の荻原さんのことをお聞きしましたが、校長(兼理事長)ではない、家庭人としての一面も教えてほしいです。例えば、掃除とかゴミ出しとか、家事などに関心はありますか?

掃除もゴミ出しもやってますよ。夫婦共働き、協力しないと家庭は成り立ちませんから 。

――父親としての荻原さんは?

高校生の娘を持つ、普通の父親だと思いますよ。女の子だからといって過剰に心配していることはありませんが、当然、幸せは人一倍、願っています。
娘には、自分で考えて行動できる人、自立できるようになってほしい。本校の生徒に求めていることと同じです。


――プライベートな一面をお聞きしているつもりが、いつの間にか学校の話になってしまいます。

啓新高校が大好きですからね(笑)

――啓新高校LOVEで、生徒LOVEでもあるということでしょうか。

もちろん! 生徒には必ず挨拶して、積極的に向き合っています。挨拶は相手を認めることであり、言葉は激励になる。生徒が輝くための舞台を提供するため、ずっと学校と生徒のことを考えています。そして、「挑戦です!」の言葉がまさに激励、卒業生に向けたエールでもあるのです。社会人になり、弱気になった時、「挑戦です!」で、気持ちを奮い立たせてもらえれば嬉しいですよね。さらに、ポーズを変えないことも大事だと思っています。なぜなら、変わらないことは安心にもつながるから。ウチの生徒は全員、変わることない校長の顔(私の顔)と、「挑戦です!」の言葉とポーズを知っています。それは私の大きな自慢でもあるのです。

――大好きな学校ですから、まだまだやりたいことがたくさんあるのですね。

そりゃもう、いろいろと。「宝くじが当たったら、学校で何に使おう?」とか、想像しています。だって、想像は楽しいですからね。将来、論理的なことはすべてAIがやる時代になるけれど、想像はAIには出来ないと思うんです。いろいろ想像して、考えて、実現させていくのはドキドキ、ワクワクします。


――ちなみに、最近思い描いていた想像をお聞かせください。

福井鉄道とえちぜん鉄道の相互乗り入れによって、ウチ(啓新高校)の学生がとても便利になったんです。ならば、さらに“啓新駅”を作ったらもっと便利になるんだろうなぁと。そこで、実際に土地のことを調べて、駅舎建設の試算もしてみたところ、「本当に出来るかも?」というところまで来たんです。そしたら、「すでに新駅が2つ出来ているので、時刻表に入りません!」という悲しすぎる現実を突きつけられました(涙)。

――あぁ、それは残念! でも、楽しい想像は続くわけですね。

それはもちろん! 想像はまだまだあるし、続けていきますよ。そういえば3年前の想像が、来年度から実現するんです。「アスリートコース」の新設です。

――想像の、「継続は力なり」ということでしょうか?

いいえ。想像からの、“挑戦です!”


(おしまい)



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