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[WATANABE語録④]起業編Part.2:誰にも負けない営業力を培った!これが真の働き方の改革⁈

資金ゼロで起業を成し遂げ、受注ゼロから営業を繰り返し波に乗り始めた「株式会社プロダクト・マイスター」(前回のエピソードはコチラ)。抜群の営業力を持つ渡邉社長ですが、このスペックは大阪時代での新入社員時代に鍛えられた(⁈)今回はそのお話から。

渡邉社長

- 「毎日100枚の名刺を配る仕事」というのはどういう?

渡邉:18歳の時ですよ。今ではありえないことですけど、大阪で初めて仕事をしたとき、会社にいったら毎朝100名刺を配られました。で、「これが無くなるまで新規の飛び込み営業をしてきなさい」と。
 昭和60年頃、当時の大阪はテナント内のオフィスもドアが開けっぱなしの時代で。今では考えられないですけど。飛び込みで「おはようございます!」と入って話を聞いてもらう。でも、ソコがどんな会社かわからない…、ある意味度胸試し。すぐ「帰れ!」って恫喝され(笑)。100軒まわって1件まともに話を聞いてくれるところもあるかどうか。その名刺配りと営業を30日間、その繰り返しで。

- いやぁ…、精神的にまいらないですか?

渡邉:そりゃまいるって! まだ週休2日ではない時代だから土曜も走りっぱなし。ノルマを配り切れなくても、次の日に100枚配られて、どんどん名刺が貯まっていく…。

- 平成から学校でも週休2日でしたから。時代が…。

渡邉:で、名刺を余らせたら上司から「やっとる意味ない、お前休憩してたんか?」とかドヤされて。毎日何十km走ってるワケですから、こっちは「えぇッ!」って言いたくなりますよ。でも結局「そうしないと売れない」と解っていたので「バカ正直」に頑張りました。そうしたら半年後には100件の営業が取れました。

- 「働き方改革」と言われる今では考えられない…。上司も現代なら“パワハラ”と言われそう。

渡邉:時代背景の違いですよ。「働き方」を「改革」されましたね(笑)。でも、おかげで僕は鍛えられたと思っています。あと、自分が“できへん人”だったので、“できる人”に追いつくために、先輩には「よう勉強しろ」と教わりました。例えば自分は高卒で、働いているその間に大卒は4年間勉強をしているわけじゃないですか。 大学生がひと月で本を1冊読むと仮定して。4年間で何ぼ読んでんねん、と。

- 48冊ですか。

渡邉:それで大卒の知識に追いつくには、その倍を読まなあかんと100冊をノルマにワケのわからない本を渡されました。で、わからず意味を調べようにも現代のように“ググれない”ですよ(笑) 。「松下幸之助」の伝書とか読まされましたね。

でも色んな本を読まされて、ソコで鍛えられた部分は大きかったと思います。で、あの時代や高校の野球部時代のしごき(かわいがり?) に比べれば、今何かあったとしても、“そう大した事もないな”と思えます。 生きているだけでいいことありますよ(笑) 。話を戻しますが、最初の会社で“仕事の基礎”をすごく教わり、「営業をしたら誰にも負けない・あきらめない」という考えを植え付けられました。その営業力が起業時のピンチ脱却に繋がったと今ではひしひしと感じます。

でも色んな本を読まされて、ソコで鍛えられた部分は大きかったと思います。で、あの時代や高校の野球部時代のしごき(かわいがり?) に比べれば、今何かあったとしても、“そう大したこと事もないな”と思えます。 生きているだけでいいことありますよ(笑) 話を戻しますが、最初の会社で“仕事の基礎”をすごく教わり、「営業をしたら誰にも負けない・あきらめない」という考えを植え付けられました。その営業力が起業時のピンチ脱却に繋がったと今ではひしひしと感じます。

― ここで話が戻りますが、起業後で最初に売り上げが出た額が?

渡邉:2か月目で月約50万(笑)ようやく社員ひとり分。それから営業をしまくって売り上げは数百万、従業員も半年で60人となりました。

― 凄いですね! なんでそこまで伸びたのですか?

渡邉:すぐにはうまくいったわけでは無いですが。でも、従業員にはとにかく数字の管理を厳しくした事も結果に繋がったのではと思います。会社を良くするために「社員のモチベーションを上げる!」とか考えましたが、やる気のないヤツはどうにもならないので…。でも“自分たちが何をすべきか”を考えたら、とにかく数を作ること、不良を出さないこと。コレが“モノづくり”の基本ですから。いわゆる「QCD」を大事にしました。

- QCD?

渡邉:Quality=品質・Cost=コスト・Delivery=納期、の略。品質は不備を出さない、作業手順を守るのが一点。コストは時間、時間が増えると割増料金を払うことになりますから。納期は守る。口を辛くして言ってきましたが、これは創業時から変わらない考えです。

- なるほど。

渡邉:当時、派遣なんて時間通り来ない、平気で休む、逃げる、というのが当たり前でした。でもウチは正規なので、地元・丹南地区にこだわって採用して長く勤めていただく。でも長く勤めていただくためには言ったことはキチンとこなしてもらう。毎朝会社に来て、きっちり時間まで働いてもらう。

- あたり前をあたり前に、ですね。

渡邉:あたり前をあたり前にこなす姿勢がお客様にとって新鮮に見えた。これが結果として、仕事・会社の信頼へと繋がり「あとふたり欲しい」と増員の声が。これが5社、6社と増えていきました。

- だんだん勢いづいてきましたね!

渡邉:でも、できれば1人だけ人を派遣するのは避けていましたね。だって1人だけ「プロダクト・マイスターです!」って言うのも淋しいじゃないですか。できれば2人、3人とチームで動ける体制が良いです。ひとつの生産ラインをそのまま“請負”にできるというのもメリットですね。で、ひとつの生産ラインが自分たちのものならば、より仕事にプライドを持てるというのも大きいです。

- いよいよ仕事も入ってきてここから成長期に 入るわけですね?

渡邉:でも派遣の契約はもらえるけど、まだ請負の契約はもらえていませんでした。「こういう会社を創ってくれ」と言われて創ったのに…。必要とされていると会社だと思ったのに「請負なんて…」とか言われてモヤモヤする時期もありましたね。これが2年半ぐらい。「もう辞めたい…」ってトコまで追い込まれましたね。

― でも持ちこたえたのですよね。

渡邉: そういう時に、とある仕事が舞い込んできたんです。それが起死回生の一発に! でも、その後すぐには売り上げには結びつかなかったです。仕事は舞い込んでも赤字続き。でも「いかに儲けるか」だけを考えました。儲けるには時間を積み上げるしかないと、分単位で時間をたたきました。それで利益を上げていき、仕事もだんだん増えていきました。

- ようやく波に乗りました!

渡邉:2008年7月、8月…ようやく軌道に乗せたぞ! ってところでまた一難。9月、あの「世界大恐慌」がやって来るわけですよ。

一難去ってまた一難。2008年の金融危機「リーマンショック」によりさらなる試練が待ち受ける。この年は「派遣村」も話題となりました。この危機を渡邉社長はどう乗り越えたのか。このお話はまた次回に。サービスサービスぅ♪

代表取締役 渡邉義信
「人」とのつながりを重きに置く、お客様第一主義のアウトソーシングカンパニー『株式会社 プロダクト・マイスター』代表取締役。
好きな食べ物:肉(主に鶏肉)「肉は裏切らない」

株式会社 プロダクト・マイスター
【住所】福井県鯖江市糺町21-1
【電話】0778-53-1231
【HP】あり




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