【渡邉義信のWATANABE語録。】
2019/12/25
前回までは渡邉社長が創業する前のお話(前回のエピソードはコチラ)。お客様や周りに後押しされ、2006年「株式会社プロダクト・マイスター」を創業。従来型の人材派遣業ではない、スタッフが全員正社員の新しい会社だ。果たしてここまでどんな道のりが? 起業後は順風満帆?今回はコチラのお話。Here We Go!
渡邉:創る気はなかったのですけどね(笑)。まず会社を創るにはお金がいる。で、いざ創るって話になるときカバンにまず一銭もない…。登記自体は難しくないのですが、手数料が払えないわけで。それで、お金がないからまず銀行さんへ行ったわけです。
― どうなりました?
渡邉:すべて門前払い(苦)。会社の企画書は持っていきましたよ。「自分のプロフィール、何するか、こうなります」のプランを片面印刷A4用紙3枚で。あとは手八丁口八丁! で、どこもダメなので最後は知人に紹介してもらって信用金庫へ行きました。話を聞いてくれた上で、それでも「こんなので貸せるかぁ!」と。でも、その時の支店長がとても良い人で「ウチでは貸せないけど、県に開業支援資金の制度がある。ハードルが高いけどチャレンジしてみたら!」と。で、その足でそのまま丸岡の産業支援センターへ連れってくれました。
- 支店長カッコいい‼
渡邉:ハードルは高いけどこれで通らなかったら何もできん! だから必死の想いで県の担当者に延々と話しました。それで「いっぺん申込用紙を出してみたら」と言われ、本格的な事業請求書のフォーマットをやっとゲットできたわけです。でもここからが大変で…。県の担当者に「ここからが勝負だよ」と言われまして。申請書出すたびに修正、これまた修正をくらいました。県に3日4日、10回20回毎日のように通い詰めましたよ。そしたら「もう来んでいいよ、メールでやりとりしましょう」と言われましたね。
- 粘り勝ちですね。
渡邉 結局一ケ月近く続けましたね。今思えば「ようやったなぁ」と思います。開業支援資金の制度は何十社申請があったみたいですが、最後まで残ったのはほんの数社。それを見事に勝ち取った会社のひとつが弊社です。そして起業資金2000万円を工面することができました。ここまで大変でしたが案外苦でなく楽しかったかも。
この出来事以来、県とは今も仲良くさせてもらっています。県との交流があるとき、当時の開業支援の話をしたら「まじかぁ!」と驚かれました。「県に育てていただいた会社」ですね。
渡邉:僕が思うのは、人材派遣会社に入って、モノづくりの原点を教えてくれた上司、モノづくりの将来性を語ってくれたお客様との出会いがなければ創業は無かった。自分のぽっと出の想いではなく周りの想いに後押しをされ起業のスタートラインに入ったのですが、資金がありませんでした。
- そこで先の銀行の話しですね。