【パルタージュ】

遠くパリから、亡き祖母を想う。|パルタージュ

2021/02/11

『紅いシクラメンと丸眼鏡』 ©Tomoko Iozaki

元ファッションデザイナーの夫は、最近念願だったミシンを購入し、ズボン作りに励んでいる。そういえば私の(母方の)祖母もミシン裁縫が大好きな人だった。私が愛用しているお弁当入れの袋も彼女が古い着物のような生地で作ってくれたものだ。

その祖母が99歳で亡くなった。北海道に住む姉から連絡が入り、私はすぐに実家に電話すると、母が電話口で亡くなる前日の様子について話してくれた。祖母は最後まで意識がしっかりしていて、普段通りに雑談をしたという。当日も朝食を食べて、昼前に一人静かに息を引き取った。

祖母が暮らしていた自宅は、実家や鯖江市にも近く、お祭りがあると手作りの赤飯やよもぎ餅、柿の葉寿司などを分けてくれた。パリで暮らすようになってからも、帰国すると短期間の滞在中にも「取りにおいで」と何度となく電話をくれた。プロのような変わらない味を今も懐かしく思い出す。

90歳を過ぎても電気自転車に乗り、それが無理になるとバスに乗って買い物に出かけていた。花や野菜を育て、困っている親戚や家族の世話をしていたという祖母。作家の故三浦綾子が語っていた「母」のイメージが重なり、同じように愛情が深い人だと畏敬の念を抱いたものだった。

近くで暮らし、長い時間を一緒に過ごしてきた母の悲しみはどれほどだろう。無条件の愛を注いでくれる親との別れを思い、さびしさがこみ上げてきた。

戦争を体験し、また急速に変化していく現代までの時代を横切った人だから、私には想像できないほどの苦労を経験してきたに違いない。私の前でははいつもニコニコと笑顔を見せ、あまり自分のことを語らなかったので、どのような思いを抱いていたのか、直接分かち合うことができなかったことを今になって後悔している。

コロナ禍で予定していた帰国がかなわず、最後に祖母に会ったのはもう1年以上前になる。予定通り帰国できていればもう一度顔を見ることができたはずだった。帰国のたびに母と3人で一緒に買い物に行ったり、展覧会の会場を訪れてくれたりした。孫の私を可愛がってくれたのだろう。こっそりとお小遣をくれたり、絵を買ってくれたりもした。温かい思いやりに支えられていた時間がよみがえってくる。

画家/五百崎 智子 1971年、福井市生まれ。パリ在住。福井大学などで油絵を中心に学び、渡仏後は語学や絵画を勉強。今冬のパリはロックダウンや夜間外出禁止令が続く中で、慌ただしい毎日を過ごしている。


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#コラム#アート#連載

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