【炎上エンジョイ!】
2019/11/29
嵐の二宮くんが結婚した。相手の女性は元アナウンサーだと噂されてる。結婚発表直後、ネットでその女性への誹謗中傷がすごかった。「二宮くんはその女に騙されてる、その女は性格が悪いやつだ」と。だけど以前、僕がよく行くカフェで、その奥さんになった女性と隣の席になり「村本さんですよね」と以前、仕事したことから挨拶していただいた。なので僕は帰りにカッコつけて、こっそり彼女たちの分の会計を済ませておいた。
すると後日、そのカフェに行った時に店員さんから小さなメモを渡され、そこには彼女から達筆な字で「先日はありがとうございました」とすごく丁寧にお礼の文章が書かれていた。だからあのすごく丁寧なあの女性がSNSで叩かれてるのは見ていて少し胸が痛くなり、それと同時に二宮くんのファンの方も「いい人だった」というと安心するんじゃないかと、そのカフェで起こった一連をツイッターで書いた。
すると「ありがとうございます、いい人でホッとしました」と安心したというコメントがいくつかきた。
しかしそれとは逆に「本当にいい女性なら直接会ってお礼するんじゃないですか?そんなことわざわざ手紙に書きますかね、あざとい」みたいなコメントもたくさん来た。
なんとなくわかった。「いい人」だということはイコール「安心」ではない。「彼は騙された」というストーリーを信じてたら「彼を助けたい」と思える。簡単に言うと「いってらっしゃいお幸せに」がまだできない。それは気持ちが自分の容量を超えてコントロールできなくなったんだろう。
そしてその自分が信じたくない話を信じさせようとする僕は、その人たちを不安にさせる人でありそれは不快な人だ。それは韓国に行って「韓国人めちゃくちゃ親切だった」とツイッターで書いたら、そうでない方が安心できる人たちが、不安になり不快になり攻撃的にコメントをしてくる。それを信じたくない人たちだ。それはそれで「その着ぐるみの中に人入ってますよ」と言ってやったのと同じで、韓国人は悪いやつという着ぐるみを事実として信じていたい。
アイドルというのは信じさせる人たちだ。神様と同じで「自分を救ってくれてる人たち」だ。不安な日常を突如現れた彼らは救ってくれる。
みんな生きてるだけで不安だ。わたしは誰かと本当に繋がってるのか、話を合わせながら生きてるだけなんじゃないのか、しかしそんな中に信じられるもの、夢中になって不安な夜を明るくしてくれた人たち、それは海の真ん中で手に入れたビート板ほどの安心。これさえ掴んでいれば束の間の安心を得れる。しかし、そのビート板はレンタルだ。購入してるわけではない、いつか誰かのものになる。そんなことはわかってる。しかし考えないようにしている。「事実」ってやつだ。事実は見たくない。
あのテーマパークの着ぐるみの中に人が入ってるのを知らないふりをするのと同じで、事実よりも見たいものを事実としてとらえる。
だから今回みたいにビート板が誰かに購入されてしまったら不安になる。しかも長ければ長いほどそのビート板に捕まっていたら、そのビート板が失われた時の不安は大きい。
(次ページへつづく)
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