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【パルタージュ】
2020/02/12
私が本場フランスのクレープと最初に出会ったのは、まだ渡仏する前のことだった。そのきっかけは、セヴリーヌというフランス語講座の先生で、当時彼女が住んでいたアパートに私たち受講生を招待し、ジャムや蜂蜜などの甘いクレープを振舞ってくれた。シードルを飲みながら一緒に過ごしたこの時の思い出は、25年たった今も鮮やかによみがえってくる。
フランスでは、2月2日は「シャンドラー」というキリスト教の祭日で、全国的にクレープを食べる習慣が続いている。おかげでフランス人のほとんどは物心つく前からクレープを食べる機会に恵まれ、老若男女を問わずクレープを愛しているようだ。
今では日本でもすっかりなじみ深くなっている、伝統菓子のガレット・デ・ロワを食べる習慣だが、1月6日のこの日が過ぎるのを待ってフランスの食料品店ではクレープの材料となるバターや小麦粉、蜂蜜、ジャムなどが一斉に大売出しに。クリスマスの余韻冷めやらぬまま次々とお祝いムードが続き、当日を迎えることになる。
それぞれの家庭では黄色く焼き上げた丸い生地に砂糖をまぶしたり、ヌテラというチョコレートクリームを塗ったりして、ホットケーキのようにおやつ感覚で何枚も味わう。それは我が家も例外ではなく、夫と娘が満足するまで繰り返し何枚も焼き続ける。
クリスマスの直前、義理の母の訃報を受け、夫と私は南仏に向かった。
葬儀には親戚や友人など30人ほどが集まり、神父立会いの下、彼女自身が生前に準備していたミサに臨んだ。遺影写真もなく、家族の挨拶もないミサの進行が私には少し意外に感じたが、最後に母親として子供達に書き残した手紙が読まれ、涙を誘った。
彼女は、私の夫を含め6人の子どもを立派に育て上げ、家族に囲まれて賑やかに過ごすことを好んだ人だった。家族との絆を大切にしていた、そんな優しい両親に育てられたおかげで、夫はいつも母親のことを気にかけて電話を欠かさなかった。
「シャンドラー」はちょうど義理の姉の誕生日にあたる。南仏はパリから遠く、なかなか家族の集まりに参加できないのが実情だが、一緒にクレープを食べて過ごすことができたら、きっと楽しい時間を過ごせるのだろう。
画家/五百崎 智子
1971年福井市生まれ。パリ在住。福井大学、大学院を卒業後、渡仏。油絵などを学ぶ。イラストは、クレープが5つ並んでいるような光輪に金沢の金箔を貼り付けてアクセントに
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