【渡邉義信のWATANABE語録。】
2019/11/09
誰もやらないなら「俺がやる!」
--これから独立となるわけですね?
渡邉:ええ。2006年の3月にこの人材派遣会社を退職して、同年の7月に今の会社を設立しました。この時が41歳です。
--前の会社にいる時はすでに独立を考えられてました?
渡邉:いやぁ、まったく(笑)。自分が社長なんて器じゃない。倒産を経験しているので…。その重さと想いを知っていることもあり、もうやりたくない。
--色々ありましたからね(汗)。でも起業に踏み切ったのは?バックに「起業しないか?」と支援する投資者的存在がいたのでしょうか?自分の考えで?
渡邉:バックもクソもなかったですわ(笑)。こうなったのも時代背景が大きく左右したんですね。 前の会社で働いている中で“製造のノウハウ”を教えていただいきました。そうしている中で色々思うことがあったんです。派遣というのは法律にものすごく左右されます。2000年代はバブルが崩壊した後で、グローバリゼーションが高まり、日本のモノ作りが空洞化しました。
--製造業で国際化の動きが高まったワケですね。
渡邉:でもメーカーさんは国内に技術を残さなあかんという考えで。そして時の政権で規制緩和が始まり、一般事業の派遣業社が製造業に乱立してきました。それでメーカーさんは「これでいいのか、技術の継承にも何にもならん」といって悩まれていました。
-- 国内でのモノづくりが危惧されたんですね。
渡邉:グローバリゼーションが高ると、どんどん仕事が人件費が安い海外へ。技術も流れました。でも、その時に何社かのメーカーさんは国内に技術を残すため、「キチンとした会社に、キチンとした技術を継承しよう」と。メーカーさんも埋もれたノウハウを提供し、派遣ではなく請負で長く仕事ができて技術が残るような取り組みを考えていました。それが当時海外で主流となっていたEMSです。
--EMS?
渡邉: EMSでわかりやすく言いますと、いくつかの大きな下請け工場が世界のアウトソーシングでも数兆円規模の会社へと成長しています。で、その時のお客さんたちと日々「EMSみたいなサービスができるといいね」と、よく話しました。 あと、派遣の若い方は切られやすく不安もあるわけです。でもEMSは長く勤められる安定した仕事ができるのがメリットです。長く続くということは技術の向上・キャリアアップにも繋がりますしね。
--でも新しいことをやるのは、めっちゃリスクあるんじゃないですか?
渡邉:ですね。それが勤めていた会社では実現できないんですね。「このサービスがしたい」と何度もうったえましたがなかなか認められない。当然新しいことを始めるとリスクも伴います。でも今後この需要は増々高まっていくという確信がありました。 で、会社には認められないケド、お客さんたちに「やってくれ!」と要望があり、派遣の時代背景やすべての話が合致して…
「じゃあ、俺がやる!」
と、まとまったというお話です。その先は未知でしたがチャレンジしてみました。
--なるほど。そういう経緯があったのですね。いよいよ起業となるのですが。でっかいバックもいない、資金もない渡邉社長がどうやって起業したのか。そして起業してからは順風満帆?そのお話は次回に。また、見てくださいね♪
代表取締役 渡邉義信
「人」とのつながりを重きに置く、お客様第一主義のアウトソーシングカンパニー『株式会社 プロダクト・マイスター』代表取締役。
好きな食べ物:肉(主に鶏肉)「肉は裏切らない」
株式会社 プロダクト・マイスター
【住所】福井県鯖江市糺町21-1
【電話】0778-53-1231
【HP】あり
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