【渡邉義信のWATANABE語録。】
2020/07/14
モノづくり専門のアウトソーシングカンパニー『㈱プロダクト・マイスター』渡邉社長のドタバタ人生劇場第6弾。前回は、リーマンショックを乗り越えたものの、仕事へのモチベーションを落としたことで経営危機に陥った、というお話でしたが(前回のエピソードはコチラ)。今回はどう切り抜けて現代までたどりついたのか、そしてコロナ禍の話題について触れたいと思います。Here We Go!

渡邉:少し話しを遡りますが、まず創業時に旧・武生に小さいオフィスだけを構えました。その時から従業員たちと“自分たちが働ける場所、自分たちの帰れる家”、すなわち工場を5年後には作ろうという話をしていたのです。それでちょうど5年後、2011年7月に今の鯖江に移って来たのです。
― 目標どおりに達成できたのですね。
渡邉:自分の計画通りに達成しただけに“天狗”になっていましたね。「おれって天才」かと(笑)。でも、達成感に満たされていたときに、ふと思ったのですね。「次におれは何をすればいいんだ?」と。だから、この先どうしていけばいいんだとだんだん不安になりました。創業時にふつふつと湧いた熱い想いのようなものもなく、明確な目標もみえない…。そうして自問自答しているうちに焦りが出てきたんです。気持ちと比例して業績もどんどん落ちる。もちろんこの先の明確な事業計画がなければ銀行からの融資も請けられません。
焦れば焦るほど、なんでもかんでもお客様から仕事を請けるようになりました。計算もしないまま何の仕事でも請けてしまうから、儲けがなく赤字が増える一方……。自分でも悪い方へと動き出しているのがわかりました。この悪い時期が3年ぐらい続きましたね。

― そこから巻き返すためにどういう動きがあったのですか?
渡邉:迷走期は人と会い情報を取りに、そして色んなアドバイスをいただけないかと、しょっちゅう東京に行きました。で、そこで出会ったある社長と「ECサイト」の物流をやろうと話で盛り上がり、新たな部門を立ち上げました。
― 製造会社が物流の事業に乗り出したと?
渡邉:そうです。実は物流の事業をつい最近までやったのですがこれは大失敗に終わりました。ただの失敗ではなく“大”のつく失敗(笑)。あの時はとにかくどうにかせなアカンと焦っていましたから。物流部門も当時の波に乗っただけで計画性が無い。だから失敗しました。
でも、失敗を失敗で終わらせたくないというウチの社風があったものですから、そこで「こんな失敗で終わらせてたまるか、利益出したる!」という、従業員の“底力”を見て目が覚めました。今までの5年間は「オレが凄い!」と思っていましたが、本当に凄いのは従業員たちだったのです。
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