福井市の『明智神社』に祀られた、地元で恩人と慕われた明智光秀

2019/12/24

明智光秀が朝倉氏に鉄砲指南役として抱えられた際の住居跡で、現在は高さ2mほどの小さなお社が建つ。福井市の大味地区は一乗谷朝倉氏遺跡の近くにあり、光秀はこの地に妻子とともに6年余り住み、光秀の三女・明智珠(細川ガラシャ)が生誕した地とも言われている。

柴田勝家は、天正3年(1575)の一向一揆討伐の際にこの地区に兵を送り込もうとした。光秀はかつて自分が居を構え、人々と親しく過ごした東大味住民の安否を気遣い、この地を戦禍から逃れさせるため、勝家・勝定兄弟に安堵状(地域の安全を担保する書状)を出させたと伝えられている。東大味地区の人々は、恩人である光秀を現在でも「あけっつぁま」と慕い、光秀の名が付けられた明智神社を代々守り続けてきた。

明智神社が祀られるようになった経緯とは、まず光秀の屋敷跡地に住居のある3軒の農家が、安堵状の恩義を忘れず、約400年もの長い間光秀の御木像を守り続けた。そして明治19年(1886年)、ようやく屋敷跡に小さな祠を建てて明智神社としたのだった。

年に一度、光秀の命日である6月13日のみ御開帳が行われ、本尊では烏帽子姿で黒塗りされた高さ13㎝ほどの木彫りの光秀坐像を見ることができる。


住所/福井市東大味
時間/見学自由
休み/無休
料金/無料
お問合せ/0776-20-5346(福井市おもてなし観光推進室)




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#観光#エンタメ#福井市内

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